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ヨガ日記(アイアンガー先生との出会いその2)

さて、前回はアプリを用いてヨガを始めたところから例によって横道に逸れまくった話しをしたと思う。

僕は知りたがり屋である。
そして本が好きなのである。本を読むことは呼吸と変わらない。何かを新しく始めるとき教科書を買うタイプである。
という訳で初心者向けのアプリでは、ヨガのポーズや動きの意味などがいまいち判然としない。もちろんネットでポーズ名(例えば下向きの犬のポーズ、戦士のポーズ)で検索すれば解説の動画やサイトが山のように出てくる。
そう山のように出てくるのだ。それが問題だった。ヨガにも流派というか、それぞれ目的や考え方がある。料理でいえば目玉焼きに何をかけるかくらいの些細な違いから(しかしそれを些細と片づけられない場合もある笑)、同じ卵を使い同じような調理方法で卵焼きにするのかオムレツにするのかくらいの差異があるのだ。


情報化社会。情報があり過ぎて何が正しいのかすっかり迷子になってしまったのだ。
要するに基準となるものが欲しかったのである。同じポーズでも、かかとをあげるのか地面にぴったりつけるのか、伸ばした手を合わせるのかそのままにしておくのか――そういう疑問に答えてくれるものが欲しかったのである。

ヨガにはただ立つだけのポーズに山のポーズというのがある。
ほとんどがこの山のポーズから始まる。
しかし、僕は立ち方が分からなくなっていたのだ。
ただ立つ。
今まで日常的にやっていた立つというただそれだけのことがよく分からなかった。
いわゆるゲシュタルト崩壊というやつだ。
どこに重心をかけどのように立つのか。
立ち方を知りたかったのだ。

書店に行きヨガのコーナー(そう大抵の書店にはヨガのコーナーがあることに、当初僕は感銘を覚えたものだ)にある本を片っ端からペラペラとめくってみた。実際に本の中身を確認出来るのが書店の良いところだ。
で、綺麗な人が丁寧な写真と文字で様々なポーズを解説している本やイラストとともに日常で始められる簡単なヨガなど、色々な本があるがどうにも釈然としない。
これだ、というものがなかったのである。

ヨガはどういうものであるのか。
インドの人たちが健康促進のため行う奇妙な柔軟体操、或いは美人さんがスタイル維持のために行う体操、どちらも正解で、一般に流布しているイメージだろう。
ヨガはインドで生まれたが、その伝統はつい最近までほとんど途絶えていた(らしい)。
例えば、岡倉天心先生の茶の本の中にあるように禅や茶道は日本固有のものとして進化し生活に根付いているが、元をたどれば中国から茶の文化や仏教(密教)が伝わりそれらが日本の中で育まれていった結果だ。
インドといえば紅茶の生産国のイメージもあるが、アフターヌーンティーの習慣そのものはインドを植民地と化していたイギリスから輸入された習慣だ。欧州における茶の習慣そのものは中国から伝わったらしい。それがイギリスでアフターヌーンティーという習慣になり茶葉の需要が高まった。そのときにインドのセイロン島は元々コーヒーの産地であったのがサビ病の流行によりコーヒーは全滅。しかしながらそのセイロン島の気候が茶葉の発育に適していることに気がついたのがかのリプトン卿である。
かくしてインドはイギリスの植民地の中で茶葉の栽培を広げていく、その中で東インド会社がインドで生産した茶葉を独占し、新天地ニューイングランドに高額で売りつけるということが起こる。それに反発して起こったのがボストン茶会事件となり、イギリスから独立し、アメリカを建国するという一つの契機になったのだから、茶葉もまた侮れない。だからイギリスでは紅茶を飲み、アメリカではコーヒーを飲むのである。
仏教はインドで生まれたが、インドではヒンドゥー教の方が広く一般に広がっている。インドに仏教的な痕跡はほとんどなくその多くはチベットに伝わっている。三蔵法師は天竺を目指して旅をしたが、その当時ほど仏教の痕跡はインドには残っていない。と思う。
では翻ってヨガはどうか、ヨガはヒンドゥー教や仏教が広がっていく過程で生まれたのは間違いない。仏教でブッダは激しい修業を意味のないものとしたが、或いはヨガの原型もその中にあったかもしれない。
そもそもヨガはどこかスピリチュアルな面があり、ヒンドゥー教や仏教にも繋がりがあるが、宗教ではない。
ヨガとは繋ぐ、結ぶ、交わる、という意味のサンスクリット語からきているらしいが、心と体の安定、真の自由を得るために、そしてそれはヒンドゥー教や仏教、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教あらゆる宗教の目的でもあり、またあらゆる哲学的なものの目標でもある。

なぜ、書店に並んだ美しくわかりやすい本が僕にはしっくりこなかったのか、僕はそれを求めていた。それを基準にしたかったのだ。
そういう風に立ちたかったのだ。

準備が整ったときに師は現れる。古い中国のことわざだ。

準備が整っていたかは分からない。ただ僕はアイアンガー先生の本、ハタヨガの真髄に出会ったのだった。

明日に続きます。

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