『ランド』感想文 後編-この世とあの世
ランドの感想文を書いております。前編はこちら。1巻までのあらすじと感想が書いてあります。
ここからは1巻以降ネタバレOKな方、そして全巻読んだ方と答え合わせをしたいというような気持ちで書いていきたいと思います。前編でも書きましたが、読んでいない方は出来ればまっさらな状態で『ランド』を最初から読まれることをお薦め致します。
「この世」
まず、1巻を読んでいる最中には、これは昔の日本のどこかの時代の話なんだろうか…鎌倉とか江戸とか…いやでも四ッ神様に囲まれた場所なんてたぶんないから架空の昔の日本を舞台にした話なのかな?と思っていたら、突然「あの世」に現代のビル群が見える…なんだ?!この話?とドキドキしました…
寓話というのでしょうか?「この世」は昔の日本のどこかにきっと似たような事実としてあったんだと思います。しきたりに縛られ、それをちょっとでも破った者には罰や死を。百姓はずっと百姓のまま。町人はずっと町人のまま。疑問を持たずに目立たずに生きればなんとかなる…
ただ、「この世」が昔の日本と大きく違うのは、「文字」の存在がないことです。文字で伝える手段がないから、言い伝えでしきたりとして社会を保持してきたのでしょう。昔の日本も文字を知っていたのは確か為政者のみですよね…
和音は杏とアンに文字を教えます。二人にタブレットを渡し、文字を教え、物語を読ませるようになります。和音は「この世」に変化を起こしたくなったのでしょうか?和音はいったいどんなつもりで、そして何者なのか、ずっとわからない不思議な人物として要所要所に顔を出します。
『ランド』の主人公はおそらく杏とアンだと思うのですが、和音も主人公なのかもしれません…和音には天音という双子の兄弟がいますが、もしかしたら、杏とアン、天音と和音の双子の二組が主人公なのかもしれません。
『ランド』、キーワードは双子、文字、そして知命と処置…でしょうか。
杏とアン、二人に渡されたタブレットには色んな物語がアップされます。古事記、日本書紀、万葉集、古今和歌集、竹取物語、伊勢物語、土佐日記、枕草子…しかしある日、四ッ神様が動いて不穏な村の空気になっている中、しかも四ッ神様が動いたのは杏のせいではないか…と責められる状況の中でアップされたのは「オズの魔法使い」でした。
「オズの魔法使い」?!いや、タブレットが渡された時点で、ここは昔の日本ではないことは明らかですが、「オズの魔法使い」が出てきたということは、今の私達と繋がる世界…今の世界ってこと??
そして「オズの魔法使い」ですが…
西の魔女、東の魔女、北の魔女、南の魔女…あれ、もしかしてこれは…四ツ神様のこと?そして、オズの魔法使いの正体はただのマジシャン、奇術使い。賢い杏は気がつきます。四ッ神様が動くのはカラクリがあるんじゃないの?そしてそれを確かめに行くのです。
「あの世」
捨吉が杏とアンを捕らえに来たとき(杏が鷲に捕まってあの世を見た時)、アンは捨吉を刺していました。アンは憎しみをエネルギーにして生きていたため(そして育ててくれた、唯一心を許していたフキがいなくなってしまったため)これからどう生きてよいかわからなくなります。そして鷲に捕まってアンは「あの世」に向かいます。
ここから「あの世」が何なのか?ランドの世界はどういうものなのか少しずつ明らかになっていきます。
アンは「あの世」に合わせた生活様式を最初は反発しながらもどんどん覚えていきます。洋服を着ること。ナイフとフォークを使ってゆっくりと食事を取ること。自転車に乗ること。それから高校生になって、英語やこれはロシアの言葉でしょうか?流暢に話せます。アンは知的でクールなかっこいい女性へと変貌していました。学校では英語ディとして一日中英語で過ごす日があります。
授業の中、教材として渡されたのは「赤毛のアン」でした。そうです、アンです。和音様は以前アンに言いました。”世界中の人々に愛されている名前なんだよ”と。
アンは捨てられた子どもです。親元に残された同じ名前の杏と否が応でも比べてしまい、複雑な気持ちを杏に抱いています。離れていてもお互いの存在は昔から感じていたし、片方が悲しむと片方の目から涙がこぼれて止まらなくなったりします。アンは自分の存在を大切には思えなかった。
その時、同じ教室の山之内くんがここのセリフが気になって覚えちゃったんだよねと指さします。
"Well, I don't want to be anyone but myself, even if I go uncomforted by diamonds all my life,"
オレはオレ以外なにものでもない
どうする?
さて、もっと細かくあらすじを言ってしまいたくなるのですが、ぜひマンガの方を読んで欲しいので、ここからはかいつまんで行きたいと思います。
「この世」と「あの世」は同じ時代、同じ場所に存在しています。そして、私達が生きている時代よりももう少し未来のお話でした。そしてランドとは。そこは震災で私達が経験したよりももっと酷い状況から立ち直った世界でした。(「この世」も「あの世」もランドです)そこに深く関わる天音と和音。「あの世」はそれは素晴らしく発展している世界です。私達の願いをすべて叶えてしまっている世界と言ってもよいかもしれません。
そこで(「あの世」に)生きる人達と、「この世」で生きる人達。そしてその両方を見守る天音と和音…不思議なのは、発展した世界にいる人達と、しきたりに縛られた人達と、そう多くは変わらない、ということです。
天音も和音もランドを変化させたいと無意識にあるいは意識的に考えていくようになっていきます。それは、たぶん、そこに住まう両方とも、どんな環境であろうとも人は漫然と生きて考えないからです。そのことに天音も和音も退屈してしまうんですね。軽く絶望というか…がっかりしてしまっているというのが近いでしょうか。
その中で杏とアンは異質です。漫然とはしません。杏は生来の気質で納得するまで色んな事を知ろうとする好奇心旺盛な女の子ですし、アンは生きるために必死で生きてきた…そして二人とも元々頭の良い女の子だったのでしょう。だから、天音も和音もこの二人の未来に期待をしたのだと思うのです。
前述の「オズの魔法使い」を読ませたこと。「赤毛のアン」という話があると伝えたこと。それはオズの魔法使いの話の中のように、冒険しながら欲しいと思っていた「勇気」や「頭脳」や「こころ」を二人に経験しながら持つようになればいいという願い。そして赤毛のアンのように元気で明るくて思ったことを何でも早口で喋るまくるけど世界中から愛される女の子になったらいいのに…という願いが天音と和音にはあったのだと思うのです。はっきりとした意識を持ってというわけではないかもしれないですけど、何かおもしろいことが起きるかもしれないという期待を持って。
天音がふとつぶやく言葉があります。”井戸の中の蛙大海を知らず。されど空の青さを知る”
これはしきたりに縛られた世界に住まおうとも、好奇心を持って生きる、杏を象徴した言葉でしょう。生きる場所や環境ではなく、その人が知るということや伝えるということ、自分の頭で考えるということ。それは例えとても発展した未来に住むアンの世界だとしても同様のことです。
「ランド」で一番怖いと思ったのは、子捨ては為政者が始めたことではないということです。自然発生的に、恐れを抱いた人々が始めたのです。
文字を知っていて伝えることができれば、過去の文献を参考にして恐れを抱かずに落ち着いて対応できていたかもしれません。また、自分の頭で考え、行動出来ていれば一つの考えではなく、本当にそれで良いのかととことん話し合うことも可能なはずです。
私達は「頭脳」も「こころ」もあるのですから。
和音と天音、そしてアンと杏。役者が出揃ったところで世界に大きな変化が起こります。その時杏とアンは、和音と天音はどうするのでしょうか?
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それから、ランドで面白いのが、知命後の平治と我次郎です。50過ぎても頭をフル回転して行動に移します。そして「あの世」にいる山之内くんのお父さんも。ここはすごく面白いですよねえ。年を取っても知的好奇心でいっぱいなところ。
だいぶネタバレをしてしまっていますが、うっかりここまで読んでしまっても大丈夫です。山下先生の絵がとても綺麗で、迫力ありますし。物語も本当に緻密に練り上げてあるので、ここに説明した文章の何十倍もの色んな事があります。しかもそれが全部、今までの歴史上の世界のどこかにあったことじゃないのか?または、これから起こることであったとしても、人々はこういった心情でそう動いてしまうのではないかと思わせることばかりです。ぜひ、ランドがどうなったのか、杏とアンはどう行動したのか。そして他のみんなもどうなったのか、一緒に目撃してみませんか?