ばあちゃんと世話焼き
「ばあちゃんのご飯美味しくなかった?」
「ううん、美味しいよ(にっこり)。でもちょっと量が多くて」
このやり取り、何回しただろう。
十回や二十回じゃない、百単位でやってる。
食卓に笑顔がなかったり、食べるのが遅かったりすると決まってこう言う。
私がばあちゃんと住み始めたのは三年前だ。
就職を機に職場の近くにあるばあちゃんの家を間借りすることにした。
最初は自分で部屋を借りて一人暮らしをする算段をしていた。
だけどもともとばあちゃんっ子だった私。
ばあちゃんと一緒に生活できるチャンスは、就職から結婚までの今しかないと思って、共同生活を提案した。
ばあちゃんは思った通りすごく喜んでくれた。
元々人といるのが大好きなばあちゃん。孫と住めるのはうれしそうだった。
ただ一つ、私の希望を伝えた。
自立したいから、共同生活にしてほしい、ということ。
掃除、洗濯、ご飯、、基本的に自分のことは自分でする。
介護が必要な段階になったら話は別だが、今の超元気なばあちゃんと生活する段階では。どちらかがどちらかに依存するのはいやだった。
だけど70代のばあちゃんにとって、依存しない関係というのは難しかったようだ。
もともとじいちゃんと共依存のような関係で夫婦生活を送っていたばあちゃん。
人の世話を焼くことが生きがいみたいなものだった。
「ばあちゃんのご飯おいしくなかった?」
ばあちゃんの料理は本当に大量だ。
ばあちゃんは料理上手なのでご飯はいつも美味しい。
ちゃんと一汁三菜ある。
私が一人暮らししていたらこんな食生活できていなかっただろう。
だから、感謝しなければいけない。
ばあちゃんも、美味しく食べてくれて感謝してくれるのを求めている。
本当は自分でご飯をつくりたいけども。
食べすぎていつも苦しいんだけども。
感謝しないといけない。
「作ってくれるのありがたいけど、ご飯は自分で作るよ」
「ご飯美味しいよ、でも量多いから明日からこの半分の量にしてほしいな」
「今日外で食べてくるからごはんいらないよ」
どれも、何度も何度もばあちゃんにかけた言葉。
だけど、どれも届かない。
次の日には元通り。
優しく言っても、真面目に言ってもダメ。
仕事も引退して毎日やることがないばあちゃんにとって、孫にご飯を作ることは楽しみなのだ。
「今日は外でご飯食べてくる」の言葉に、罪悪感を感じる。
食卓がプレッシャー。
たとえ仕事で上手くいかず落ち込んでいたとしても。
彼氏と上手くいかず落ち込んでいたとしても。
1人でいたい気分の時も。
ごはんをパスすることはできない。
笑顔でごはんを食べないといけない。
そうじゃないとばあちゃんが気を病んでしまうから。
ばあちゃんは、自分に自信がないのだ。
だから、美味しいよって言葉が信じられないのだ。
世話を焼かずにはいられないのだ。
自分の存在意義を、人に求めてしまっているのだ。
70代という年齢で、変わることは難しいんだろうか。
ばあちゃんと良い関係を築きたい気持ちはあるけれども、
いつまでもばあちゃんの期待に応え続けるのは難しい。
難しい・・・。
今日もごはんを胃に詰め込む。
本当は美味しいごはん。だけど味がしない。
おいしいごはんを、美味しく食べたい。
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