初めて心療内科へ行った話
いつの間にか蝕んでいた心
去年の夏、私は軽い鬱状態となった。
新しく派遣された職場。
初めの1ヵ月は毎日出社していたが、仕事に慣れてきた頃「在宅勤務でいいよ」と言われた。出勤しないでいいなんてラッキーだと思っていた。
だが、それからしばらく経った頃あることに気付いた。
仕事が無い
任される仕事がほとんど無く、ようやく頼まれたと思ってもすぐに片付いてしまうような仕事ばかりだった。在宅勤務となり、同僚と直接話す機会もほとんど無くなった。
「仕事は少ないのに、給料だけもらえてラッキーじゃないか」と考える人もいるだろう。私も最初はそう思うように努めていた。
しかし、暇な時間もあまりに多くなってくると、余計なことをどうしても考え始めてしまう。
自分はこのままでいいのか?
そもそも、自分は何がしたかったのだろうか?
自分って何が好きなのだろうか?
こんな風に仕事中の大半の時間を、答えのない自問自答に費やすようになった。
そんな状態が半年程続いた頃、もうどうしようもなくしんどくなった。このままではいけない、そう思い「物は試し」と思い心療内科へ行ってみることにした。
院内の様子
インターネットで口コミを探したが、どのクリニックも似たり寄ったりでどこを選べばいいのか分からなかった。すぐにでも行きたかった私は、予約が取れそうな近場のクリニックへ行くことにした。
そして、当日。
電車で都心の駅に向かい、人込みをかき分けたあと、オフィスビルに入っているそのクリニックへ行くためエレベーターに乗り込む。「チン」と扉が開き、先に続く廊下にふと目をやった時、若者が何人か廊下に座り込んでいる様子が見えた。
彼らは何をしているのだろう、と思いながらも自分はお目当てのクリニックのドアを開く。すると、先ほどの若者たちもこのクリニックの患者なのだとすぐに悟った。
扉を開いた先に見えたのは大勢の人、人、人。
用意された椅子では全く足りない程の数の人々が立って待っている。思いもしなかった光景にひるみ、反射的にいったん外へ出た。
自分が立つスペースすらほとんど無い程に混みあっていたが、入り口のドア越しに聞こえてくるのは患者の名前を呼び出すスタッフの女性の声だった。
受付は事前にアプリで済ませていたため、自分もそのうち呼ばれるかもしれないと思い、混雑した部屋の中で肩身の狭い思いをしながら待つことにした。
「〇〇様ー」
どうやら自分の名前はすでに1度呼ばれていたらしく、再度呼ばれたときに丁度部屋に入れたようだ。
受付の女性はきょろきょろと辺りを見回していた。人込みをかき分けながら急いで受付カウンターに向かう。受付で一通り説明を聞いた後、その女性からこう告げられた。
「ここに樹木の絵を描いてください。」
ポカンとしている私に、受付の女性はバインダーに挟まれたA4用紙とペンを渡した。
「樹木ですか?」
まさか木の絵を描けと言われるとは思っていなかった私は、答えが分かり切った質問をする。当然のように「はい、お願いします。」と返事をされた。
部屋の隅っこへ行き、他の人の邪魔にならないよう適当に描き、あまりにも陳腐な出来の樹木の絵を受付の女性に渡した。
樹木を描かされるとは、どうも犯罪者や精神異常者扱いされているようで少し困惑した。もちろん何かしらの診断だということは承知の上だが、それでも複雑な気持ちになった。
あらかじめ予約はしていたはずだが、患者があまりにも大勢なので長時間待つことを覚悟し、たまたま空いた受付横の丸椅子に掛けて待つことにした。
吸い込まれていく患者たち
自分の番を待っている間、受付に置かれているスピーカーからは患者を呼び出す医者の声が定期的に聞こえてくる。医者は何名か在籍しているようで、ある時は女性の声、またある時は男性の声で患者を呼び出していた。
事前に確認していた口コミに、「患者の名前を大声で呼ばないで欲しい」という意見があった。確かにここでは悩みを抱えた繊細な人たちが集まる場所なのだから、そんな口コミがあるのも当然かと思った。
だからなのか、患者たちは基本的に各々に割り当てられた番号で呼び出されていた(たまに、患者が現れない時は名前で呼び出されている場合もあったが)。
番号で呼び出され、奥にある個室へ次々と吸い込まれていく患者たちの様子を見ていると、なんだか自分は囚人になったような気がした。
受付の女性たち
待っている間暇だったので、受付横に気持ち程度に置かれていた本をパラパラと開く。「繊細な人がどうすれば楽に生きられるのか」について書かれた本だ。内容に目を通している間も、受付はとても慌ただしそうにしていた。
スタッフの女性たちは不穏な空気こそ見せないが、これだけの数の患者を捌く必要があるため、とても余裕があるようには見えなかった。
彼女たちは、患者から定期的に同じ質問を何度もされていた。
「今からだとどれくらい待ちますか。」
「1時間くらいですね、すみません。」
こんなやり取りを私は少なくとも3回は聞いた。受付の女性の対応に少し角が立つのも納得できる。
とはいえ、受付の中で働く彼女たちはとてもテキパキとしていて、スタッフ同士も仲は悪くないように見えた。時折、笑いながら冗談を言い合う姿が印象的だった。
受付に置かれたアクリルパーテーションの向こう側は、こちら側とは対照的に明るい雰囲気だ。
無機質な部屋での診察
そんなこんなで結局1時間半待って、ようやく自分の番号が呼ばれ個室へと向かう。扉を開けると、メガネをかけた40代くらいの男性医師が「こんにちは」と挨拶をしてくれた。
「今日はどうしましたか。」
そう聞かれたので思いつくままに自分の状況を話した。
憂鬱な気分が続いていること
平日は床から起き上がる気力すらない程気分が沈むこと
そうは言っても土日は比較的元気なこと
自分の好きなことや関心ごとが分からないこと
医師は私の話を聞きながら
「うーん」、「なるほど」、「そういうことか」
と相槌を打っていた。
その時、私は待合室で読んでいた本に書かれていたことを思い出した。その本には、繊細な人の特徴のひとつに、うわべだけの相槌を見極めることができると書かれていた。
なるほど、どうやら私はその特徴に当てはまるらしい。
私の勘違いかもしれない。今気分が沈んでいるからかもしれない。だが、医師の相槌のタイミングや声色で、彼が「相槌を打つというテクニック」を意識してただ遂行しているだけのような気がした。
何となく機械的な印象を持ったまま、たった5分程度の診察は終わってしまった。特に何の実りも無かったように思えたが、とりあえず薬を処方してほしかった私は受付で会計を済ませた。
初診だから料金が高くなると言われ5,770円支払った。これに薬代が含まれているのかと思ったが、そうではないことを後から知った。私が帰る頃にも、患者の数はまだ減ることが無かった。
出入り口の扉を開き、すれ違いざまに入ってくる大勢の人を見ながらふと冷静になる。
囚人のように番号で次々に呼ばれていく患者たち。
座る席が無く、支払いをするためひたすら立って待つ大勢の患者たち。
大勢の患者をせかせかと捌く一方、楽しそうに冗談を言い合う受付の女性たち
たった5分の医師による機械的な診察
初回診察料5,770円
私は搾取される側の人間なのだと、そう感じた。
誤解がないように言っておくと、もちろん全ての心療内科が同じではないだろうし、受付スタッフの方が楽しく働けることは何よりだ。
ただ、私がこのクリニックに来て感じたことを書いたまでだ。
「これでいい。結局自分の悩みは自分にしか解決できないのだ。」と、何度も辿り着いてきた答えにまた改めて辿り着く。
差し込んだ光
処方箋をもらったが、週末ということもありクリニック近辺の薬局は閉まっているようだった。当日中に薬を手に入れたかった私は、急いで電車で地元まで戻り、駅近くの調剤薬局へと向かった。
閉店20分前になんとか駆け込み、客は私だけのようだったが一応受付番号を発券した。
「112番の方ー」
先ほどのクリニックと同じように番号で呼び出されカウンターへ足を運ぶと、薬剤師の女性が薬の説明をしてくれた。
「これは不安な気持ちを軽減するお薬ですね。
…何か精神的にしんどいことが?」
「そうなんです。色々とメンタルやられてまして、あはは。」
急に暗い雰囲気を醸し出して、見ず知らずの人を困らせるのも申し訳ないという気持ちと、自分でもよく分からないが「そんなに重症じゃないよ」、「気を使ってくれなくていいよ」と思わせたかったのか、無意識の内に笑っていた。
とりあえずこう言っておけば、これ以上踏み込む必要はないと思ってくれるだろう。
しかし、
「お仕事大変なんですか?」
予想はすぐに裏切られ、その女性はもう1歩踏み込んできた。
先ほどの男性医師のように機械的ではなく、本当に親身になって聞いてくれているように感じた。思いもよらない人からの優しさを急に受け取った私は、先ほどのようにうまく取り繕う余裕もなく、頭で考えるよりも先に言葉が出た。
「仕事が全然なくて、しんどいんです。」
そこから、その女性は思った以上に会話のラリーを続けてくれた。
「そうですよねぇ」
「お辛いですよね、それは」
「その状況だったら当然そんな気持ちになるわよねぇ」
と、話し続ける私に彼女はずっと共感してくれた。
クリニックの機械的な診察では全く感情的にならなかったが、その女性に話を聞いてもらっていると、自分の澱んだ世界が少しずつクリアになっていくようで涙が我慢できなかった。
あっという間に閉店の時間になり、心からのお礼を彼女に伝え家路に着いた。
ある時は人に悩まされるが、またある時は人に救われる。
日々、そんなものだ。
絶望の中、崖っぷちに立つ自分の視界はとても狭い。崖から見下ろすことのできる下の景色しか見えていない。でも、日々生きていると背後から突然光が差し込むこともある。
「なんだか明るいな」
そう思って振り返ると、太陽が昇っている。その時、急にぶわっと自分の視界が広がり「こんなに広い世界があったんだっけ」とようやく思い出す。
綺麗ごとを言うようだが、太陽は無くならない。
自分が太陽を見ようとしているかどうか、それだけのことなのかもしれない。
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