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本来の自分とは..

いまの仕事を退職するまで残すところあと3日となった。
最後の1週間といえども、まだまだ気持ちは沈んだままだ。

ここ最近は、生きているのか死んでいるのかよく分からないまま毎日が過ぎていっている。

いつも気付いたら朝になっていて、
頭はついてこないけど、体は覚えているから勝手に朝の支度を始めてくれる。

職場まで向かう途中、歩きながら視線をどこにやればいいのかすら分からなくなっている。今まで自分は何を見ながら歩いていたのだろう?

職場に着いても、全く仕事に集中できていない。
仕事中に私語をしない同僚が珍しく口を開いたと思ったら、「書類に抜け漏れがあるよ」とだけ指摘される。
こうして、ただでさえ低い私の自己肯定感は最低記録をまた更新する。

視線はパソコンの画面に向いているし、両手もキーボードの上に乗っている。
しかし、頭の中は空っぽだ。何も考えていないし、考えられない。

この職場に来てから1度でも血の通ったコミュニケーションを取ったことがあっただろうか。いや、ほとんどない。

最初の頃は「コミュニケーションが取りたいのであれば、まずは自分から」と思って、話しかけていた時もあった。
でも、職場に流れる独特の重い沈黙を破ってまで話しかけ続ける気力を私は持っていないし、話しかけた時に喜怒哀楽のどれでもない表情をこちらに向けられるのも怖かった。

それから段々と、仕事中に口を開くことは無くなった。
本当に分からないことがあった時だけ、仕事の話をするためだけに話しかけるくらい。

そんなことを続けているうちに、自分が元々どんな人間だったのか分からなくなっていった。


自分は、人に話しかける時こんなにも恐怖を感じていただろうか?
こんなにも、暗い人間だったのだろうか?
この環境がそうさせているのか、それともこれが本来の自分なのだろうか?


「こうありたい」という理想像からは、どんどんかけ離れていっている。
「穏やかな人間でありたい」とか「温かい人間関係を築ける人間でありたい」とか、そういった気持ちは持っている。それが本来の自分かどうかは分からないが、少なくとも私はそういう人間でありたい。

しかし、理想像は置いてけぼりになり、職場ではすっかり「暗くて注意力が散漫な人間」になっているのだろう。

仕事を辞めたら、何か見えてくるのだろうか。

2週間程前に、「心の声に従って生きる」という記事を書いた。

この時は、どんな些細なことでもいいから、心の声が聞こえたのなら無視しないように今後は生きていこう、といったようなことを書いた。

「自分は、今後の人生をこんな風に生きていきたい!」とかそんな大それたことじゃなくていい。
「美味しいものが食べたい」、「あそこに行ってみたい」とかそんなレベルのことでもいい。

聞こえてくる心の声に従って自分の些細なやりたいことを叶え続けていくと、自分自身が満たされて、そのうちもっと他のやりたいことも見つかるはずだ、と。

しかしここ近頃は、めっきり声が聞こえない。静かなものだ。

自分自身に話しかけることですら億劫に感じてしまう。
ピークに悩んでいた時は、「自分は何がしたいのだろう」「自分の好きなことって何だろう」と話しかけ続けていて、それなりに返答はもらっていたのだが。

冬があまりにも明けないもんだから、嫌気の差した心がもう1回冬眠してしまったのかもしれない。


そんな時はどうすればいいのやら…。



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