怠惰な自分との葛藤
3月末に退職してから、まる1ヵ月が過ぎた。
結論、何も進展していない。
退職した直後は、自己分析に励んだり気になる求人に応募したりと、少しではあるが何かしらの活動はしていた。
とはいえ、やはり大したスキルも無く、一つの仕事を長く続けていたわけでもない私は書類選考を通過することすら難しい。
そもそも、応募した求人もそこまですごくやりたいと思って応募しているわけではない。
自分のやりたいことってなんだろうと一生懸命考えたが、「特に無い」という結論に至った。
多分、「こういう環境で働きたい」という希望はあるのだろうが、特段これといってやりたい仕事などない。
だったらなんでもいいから応募しなさいよ、ということは自分でも分かっているのだが、なかなか踏み切れない。
「なんでもいい」と言いつつ、結局のところ「給料はせめてこれくらいあってほしい…」とか、「休みが…」とか妥協しきれずにいるのだ。
今ここに書いているようなことがネット記事になったとしたら、コメント欄は批判で溢れかえるのだろう。
「それは自業自得でしょ」
「活躍してる人は努力してるから」
「贅沢言うな」
そんな声が自分の頭の中から聞こえてくる。
でも、実際彼らの言うことは正しい。
今の自分を作ったのは他の誰でもない自分自身。
のらりくらりと生きてきた結果が今のわたし。
そんなことは分かり切っている。
それを良い・悪いで判断しようとしているから余計にしんどくなるのだろうが、自分で自分のことを認めることができていない。
まだ新しい仕事が見付かってもいないのに、次の職場で失敗して怒られている自分を想像しては落ち込んでいる。
取り越し苦労にも程があると、自分でも分かっている。
とにもかくにも、こんな現状から早く抜け出したい。
今はゴールデンウィーク期間中なので、求人に応募しても企業側が休みのことが多く音沙汰が一切ない。
派遣にも登録しているが、そこからも一切連絡が無い。
人込みも嫌なので家に閉じこもっていると、本当に社会から孤立している気分になってくる。
さっきも、昼ご飯を食べてからすることが何も無くなったので、ひたすらベッドで横になっていた。
午前中は洗濯したり掃除をしていると、いつの間にかお昼ご飯の時間になるので何かと気が紛れるのだが、昼以降の時間が本当に何をしていいか分からない。
行動できる人間に自分の昼以降の時間を与えたら、みるみる内に自己研鑽して周りと差をつけていくのだろう。
自分にはそれができない。というより、やらない。その癖に、自分自身に諦めが付いていないのでタチが悪い。
正直、いま自分が必要としているのは人との関りだと思う。
前職でもSEという職業柄なのか、職場でコミュニケーションを取ることが極端に少なかった。なので、身内以外の人間とじっくり話すということをここ最近していない。
それも相まってか、人と関わることがだんだんと怖くなってきている。
それでも人との関り合いを求める理由は、ずっと一人でいることがしんどいからだろうか。
長時間だれかと一緒に過ごすと疲れるし、性に合っていない。
かといって、常に一人で過ごしていると漠然とした不安に駆られる。
わたしは無趣味なので、持てあます時間が多い分余計にその傾向が顕著に表れる。
俵万智(たわらまち)さんの「サラダ記念日」にこんな短歌がある。
確か中学生か小学生の頃、授業でこの短歌を読んだ。
当時は全くしっくりこなかったが、大人になった今、この言葉が重く心に響く。
次の職場がどんなところになるか分からない。
慣れるまでしんどいだろうし、意地悪な人がいるかもしれない。
でも、ひとり。たったひとりでも。
俵万智さんの短歌のように、何気ない世間話に返事をしてくれる人がたった一人いてくれたら、それだけで頑張れそうな気がする。
人と関わることは怖いけれど、恐れている限りそんなあたたかさを感じることも無いんだなと思うと、やっぱりわたしは少しでも人と関わっていたい。
早く働きたい…。
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