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我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

大阪に浮かぶ人口島、地上23階に宿泊している。妻子が寝たのでnoteを開く。高層階からの夜景。飛行機とか、高層階とか。高いところは好きだ。人間の営みが一望できるから。神戸の、おばあちゃんち。阪神淡路大震災を耐えた歴史ある平屋で大きなテーブルを囲んでいたときは、極めてドメスティックで土着的な豊かさに浸っていた。煩わしくも、温かい人のつながり。茎わかめの佃煮とか、神戸新聞の切り抜きとか、ひいひい爺の写真の隣に置かれた僕の子どもたちの写真とか。埃っぽい客用の敷布団とか。共同体という、居心地の良いインナーサークルに受け入れられた悦び。居心地の良さ。でも、そーゆうものが、一個の光の点にしかならない海抜60mくらいからの夜景においては、僕はまた随分と個人的な人間に戻る。人間の営みが脈々と、続いていくなかで。僕は何ができるんだろう。この道路を敷いた奴がいる。電気を通した奴がいる。この海を埋め、島をつくった人間がいる。その島を今も、光の点、車が赤血球みたいに移動していく。僕は、まぁ休暇中なので、ホテルの部屋の電気は消して、移動もせず、生産もせず、窓から外の光をみて、スマホをいじっている。来週頭には、僕はまた、光の点的な何かに戻って、世の中の何かを何かにしていく。いやぁ…それってなんだろうなぁ。と思う。僕の会社は、物理的なモノを生産してるけど、僕はその会社の中で、文章を書いたり、人の教育をしたり、業務効率化をしたりしている。あんまり形にはならないものだ。地図に残らないし、積み上げて高さを測って富士山何個ぶん、的なことも言えない。みんな、あの光の中で、なにやってんだろうなぁと思う。僕は、何やってんだろうなぁとも思う。神戸のおばあちゃんちでは、テレビで常に戦争の話をしてた。神戸の戦争特集は、横浜のそれと、趣が違った。首都東京近辺の戦争特集は、日本全体の話をしていた。東京で聞いた神戸の話。長崎の話。広島の話。東京の話。満州の話。満遍なく広い視野で語られる歴史は、教科書的に正しかった。しかし神戸のソレは、この土地の、主観的な物語だった。街に歴史あり。ひい爺とひい婆に歴史あり。そしてばあばが生まれ、妻が生まれる。歴史。僕にも、もちろんそーゆうのがある。それを語れないといけないなぁと思った。齢37というのは、どんなもんなんだろう?まだまだこれからなのだろうか。もう手遅れなのだろうか。35を境に、未来の可能性はジワジワ絞られてきている気がする。いずれにしても、休暇が終わったら、慌ただしい光の点に戻らなければならない。そこには俯瞰された目線は無い。メールチェック、経費精算、しょーもない人間関係。そんなものを積み上げて、僕はこの世界でなにをしようとしてんのか?こーゆうことは、頭でかくして考えても、ケーケン上、あんまり結論はでない。目の前のメールを1通、返信するところから、始めるしかないのだ。わかっていながらも、いろんなキッカケで考え始めてしまう。僕はいつまでこんなこと考えてんだろうか。とりあえず、明日、海遊館に行って、横浜に帰る。ちなみに添付の写真は、ぜんぜん関係ない場所です。1294文字

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