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未来がわかるってのは、すこし味気ないものであるなァ

少し噛み合ってきた気がする。日常の外圧が下がっているのなら、自分で圧をかけるしかない。長期的な外圧はあるわけだし。つまりスケジューリングである。1日をどう過ごすか。スケジューリングに関しては、日を改めて、エリを正して、ちゃんと書きたい。3年間で、スケジューリングについては多くを学んで、僕の手帳は毎週真っ黒だ。いろんな本、人から学んで組み合わせて学んだ。筆記具も色々吟味した結果、いまの形になっている。その手帳と筆記具と、自分の脳味噌を使って、今日やるべきことを着実に終わらせていく。当たり前なんだけど。今日やらなくても怒られないけど、やっとくと後でらくになることをちゃんと毎日、毎時間、潰していく。残業はしないけど、行きの電車で90分、けっこうがっつり仕事する。帰りの電車は読書する。夜はだらだらネットとか見ないで、子どもと一緒に早く寝る。早く起きて、noteの更新を電車に乗る前に終わらせる。別に誰かが、見ているわけでなくても、他ならぬ僕との約束を、日々、毎時間、果たしていくことが、まあ、毎日の張り合いになるよね。仕事の時間は、集中して、仕事しかしない。仕事以外の時間は、やりたいことやる。当たり前なんだけど、メリハリを維持するのって意外と大変で。ちょっと残業しただけで、リズムが崩れてしまう。仕事8時間+90分、ぶっ続けで集中して最短距離をスケジューリングしなければならない。まあその、制限時間内に終わらせる緊張感が、自分のやりがいになるし、良いのだ。定時であがればゆっくるねれる、ゆっくり寝れたら早起きできて、noteが電車乗る前に更新できて、行きの電車で90分働ける。ぐるぐる円滑に、日常を回していける。それにしても、1週間が過ぎるのが早いなあ。先週が昨日、くらいの感覚で、1週間が1日くらいの感覚で過ぎ去っていく。パターン化された日常を回転させるのと、なにが起きるかわからない、いきあたりばったりの毎日。僕は前者を選んでるけど、どっちが時の流れ早いんだろう。どっちが人生充実してるんだろう。スケジューリングを突き詰めていくと、3ヶ月先の未来まで、何が起きるかだいたい解るのだけど、それは人間として、正しいことなのだろうか。自分の敷いたレールを敷いたとおりになぞっていく感じがね。行きたい方向に敷いてるレールだから、いいのかなあと思いつつ、未来が見えてるってのは、けっこう味気ないものもある。明日のこの時間はnote書いてる。来週も、来月も。続いてたら来年も。やりたいことだけど。見えてる、ってのは、味気なく感じたりする。でもまあ、日々の実感としては、やっぱり自分でレール敷いて、そのとおりに走ることで充足感を味わえるから取り急ぎ良い。あっという間に、年をとるんだろうなあ、と漠然と考えたりする。1154文字

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