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自分の脳味噌を自衛しなきゃいけない

気が散るものばかり溢れている。静かな朝、妻がテレビを付けた瞬間。朝から、情報番組が自己主張を始める。画面いっぱいに、賑やかな音を振り撒きながら。芸能のレッドカーペットとか、内閣支持率とか、能登の災害とか、闇バイトとか、天気予報とか、女子アナが飯食ったりとか。入れ替わり立ち替わり。朝から脳味噌をゴチャゴチャさせてくる。もちろんCMも流れる。リモコンを押せばゲームまで出来る。朝から、こんなに大量の情報要るか?電車に乗ったらスマホを出す。みんなスマホみてる。ゲームも漫画も、飲み会の予約も買い物も。読書も執筆も、写真も映画も。ぜんぶ入ってる。なんでもできるから、忙しくて仕方ない。ゆっくり本も読めない。もちろん会社の携帯もうるさい。貸与されたiPhoneとノートPCのお陰で24時間365日働ける。在宅勤務だろうが、打ち合わせで予定はビッシリだし、チャットにはすぐ返信しないとサボってると思われる。便利に世の中が回転されるほど、僕だけの脳みそを世界に奪われてる気がしてくる。自衛が必要だ。僕の脳味噌を守らないと、本当に大事な物事には辿り着けない。僕は中世の絵画に出てくるような、広い草原の中に建つ、小さな家で暮らしたい。曇り空。雨の気配を感じつつ。風の音だけ聞きながら、窓から草原を眺めていたい。メールじゃなくて、手紙を出したい。Amazonじゃなくて、町に出て、パンと牛乳を買いたい。現金で。サブスクじゃなくて、買った曲を大事に聴きたい。9時に寝て、5時に起きたい。便利さを捨てて、ゆとりを手にすることを夢想したりする。首都圏横浜において、出来ることもあるだろうが、LINEを辞めて便箋を買いに行くわけにもいかないし。限界はある。トイレにウォシュレットも必須だしな。便利な21世紀でも、もう少し、僕自身の生活を取り戻していかなければならぬ。noteを書いているときは、多少なり自分に集中できている。のが、救いでもある。が、出勤しながら書いてる時点でマルチタスクの奴隷。草原の暮らしには程遠い。現代に生きる私が、ゆとりの時間を持つ方法、現実的な手段としては、やっぱりスケジューリングであると思うなぁ。仕事術と手帳術。仕事の悩みは仕事で。人生の悩みは人生で。結局は僕の世界に帰ってきて戦うしかないのだァ。TODOを一個でも詰め込む効率至上主義ではなく。人生に大事なものを、ゆとりを持って選び取る生き方をしたい。世界に使われちゃいけないなぁ。と引き続き思っております。1031文字

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