見出し画像

子育ての憂鬱と反比例する日々の“くすり”について

こんにちは。米田です。

私にはもうすぐ4歳になる息子と2歳になったばかりの娘がいます。タイトルのくすりとは薬のことではありません。くすりと笑ってしまう、のくすりです。


独身時代、飲食業界で働いていた私は、へろへろになりながら毎日早くから夜遅くまで忙しく働いていました。
いっぱいいっぱいの毎日を過ごしながら、私は早く家庭を持ち優雅に暮らしたいと思っていました。会社の歯車の一つとして過ごすことが、とても憂鬱だったのです。
母親になれると知った時、驚いたのと同時に、私は特別な何者かになれるような気がしていました。
CMで見るような可愛いメリーとふわふわのベビーベッドを用意して、子供が何をしても「かわいい」と笑う自分を想像していたのです。

実際はどうでしょう。

パパは朝が早く夜が遅い。子供と一対一で接している間、子供を守れるのは自分だけ。私の振る舞い一つでこの子の躾が、言葉の覚えが、体の発達が変わってしまうかもしれない。電車に乗れば周りからどんな風に思われるかもわからない。
名前で呼んでくれる人は誰もいない。私は〇〇さんではなく、〇〇くんのお母さんになりました。
そこには、特別な何者かは居ませんでした。
荒れた部屋とぼさぼさの髪の毛、深いクマを浮かべた自分は、優雅な生活や、CMの中のきらきらした子育てとは無縁のものでした。
時間軸も人と違う。遊びに行こうにも心の余裕がなく、世間に置いていかれている感覚でした。

一年間専業主婦をした後、私は家庭以外の自分の居場所がないとダメになると思い、就職しました。
就職して、しばらくして娘を授かり産休。そして出産、また職場復帰をしました。


正直、今も余裕はありません!


朝はバッタバタ、帰ってからもゴッタゴタ。
忙しい時に限ってトイレは失敗する。目が離せない調理中に限って喧嘩をする。毎晩寝る前の絵本の朗読中に私が先に眠ってしまうこともたくさんあります。
明日になれば、また朝からエンジン全開で動かなければならないのです。「あー、一人になりたい」「自由になりたい」と憂鬱になります。
そしてその憂鬱は何度も何度も繰り返し、終わりが無いように思うのです。一人で暮らしていた時とは違う憂鬱が私を襲い続けるのです。


けれど、子供たちは日々着実に成長しています。

月に1cmずつ背は伸びるし、毎日のように新しい言葉を覚えて違う話をする。こちらの要求を飲む前に反論してくる。私が忘れていたことを教えてくれる。
その度に、子供たちは私の分身ではないのだと改めて実感します。
子供は私の人生を特別にするための付属品じゃない。
この子たちもそれぞれ、人生の主役なのだと。


もちろん教えなければいけないことはたくさんあります。でも私はその倍くらい、一緒に悩みます。
一緒に調べて、考えて、相談する。どれだけ小さくても、ひとりの人間として接しています。その甲斐あってか、子供たちは大人みたいな喋り方をします。ちょっとませていて、腹が立つことも多いけれど、よく考えれば面白くて仕方ない。

苦しくて、終わりが見えないと思っていた憂鬱にも、いつかくすりと笑える瞬間が来るのです。そしてそのくすりは、憂鬱と反比例するように増えていく。

イヤホンを「オッホォ」と呼ぶし、ポップコーンは「とっぷぽーん」、完璧は「たんぺぴ」と言う癖に、何かにつけて「だからいったでしょう!」と私の真似をしてくる子供たち。でも、言葉を覚えているのは偉い。

油物の料理をしている時なんかに「おといれ!」と言ってきたりします。でも、教えてくれるだけ偉い。

瞼が重い朝に限って「だっこ」「おんぶ」と始まって、二人を前と後ろに抱えながら2階から1階へ降りたことも数えきれないくらいあります。でも、起きるのは偉い。

くぐっと噛み潰した言葉を一つ一つ飲み込んで、「しょうがないなぁ」と笑います。こうしてお世話が出来るのも今だけで、決して永遠じゃない。

鬼のように叱る日があっても、ワンオペの限界を越えてワンワン泣く日があっても、くすりと笑える幸せを呼んでくれる子供たちが、私は大好きです。
癒しののようなくすり。それを見つけることが毎日の楽しみです。私の心を刺々しくさせるのも、刺々する私の心を癒すのも子供たちだなんて、想像もしていなかったことでした。思い描いていた特別な何者かとは少し違うけれど、こんなに幸せなことはないのだろうなと思います。

だいぶ体格がよくなってきた子供たち。可愛さに似合わず想像以上に口は臭いし、抱っこしたら腰は痛いし、手を繋げば四方八方に引き摺られます。
それでも、いつか手を繋いでくれなくなる時が来る。
いつか抱きしめさせてもらえなくなる時が来る。
肌の温度や息遣いが感じられる距離で眠ることなんて、二度と出来なくなる時が来る。
その時までに目一杯この感謝を伝えられるように、私は今日も一緒に笑ったり泣いたり怒ったり、大人げなく喧嘩をしていきたいと思います。

一緒にお酒を飲めるその日まで。
お互いに健康、元気でいられますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?