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父の愚痴に反応した私のインナーチャイルド

この土日は、夫と娘と一緒に実家に帰っていた。
昨日は花火大会があるということで母から招集がかかり、両親と妹夫婦と皆が集まってバーベキューをして、花火を見てと賑やかな1日だった。
我々夫婦はそのまま実家に泊まり、今日はバーベキューの片付けをしたり、広い敷地で娘と思い切り水遊びをしたりと、のんびり過ごしていた。

ここまで書いて、とても良い休日だったことにびっくりしている。
なぜなら、いま私の気持ちは父への罪悪感で一杯だから。

父の愚痴を、共感して聞いてあげられなかったことがひっかかっているのだ。かれこれ半日も引っかかっている。

父の新品のスマホが初期不良で壊れ、購入した某大手キャリアに父が問い合わせたところ、代用機のが届いたのが予定よりも大幅に遅くなり、そればかりか、当初の話とは違う機種が届いたということだった。
担当者の無責任な回答に怒り、思いもよらず知らない機種を扱うことになってしまい困惑する父。

どう考えても悪いのは某大手キャリアの会社側なのだが、この顛末と担当者への愚痴を、今日だけで父から3回も聞いて、私は辟易してしまったのである。
帰り道に夫から「そんなこと愚痴っても何も変わらないよっていう感じが滲み出ていたよ。俺はお父さん間違ってないと思うけどな〜」と言われてしまった。

そうなのだ。父の怒りは間違っていない。
きっと、父の愚痴を受け止めきれない私の問題なのだ。

なぜだろう。
私は、親や夫など、身近な人の愚痴を聞くのが辛い。身近な人であればあるほど辛く感じるのだ。
今回父に起きた出来事だって、もし父ではなく友達から相談を受けていたら、もっと寄り添って話を聞いていた気がする。
大切な父親の愚痴を、どうして素直に聞いてあげられないのだろう。

自分でもこの気持ちの整理がつかず、Google検索で「親の愚痴 つらい」「親の愚痴 聞きたくない」などと検索していた。

インナーチャイルド(潜在意識)について書かれている記事に目が止まった。
顕在意識(ここでは「愚痴を丁寧に聞いてあげればよかった」)ではなく、潜在意識に目を向けるということだった。
自分のインナーチャイルドはどう思っているのか?

インナーチャイルドについて十分理解をできていない気もするが、書き出してみようと思う。
・もっと私の話を聞いてほしい、私に興味を持ってほしい
・私も上手くいかなかったことを話したい、弱音を吐きたい
・大丈夫だよ、心配ないよと慰めてほしい、辛かったねと共感してほしい
・パパとママに甘えたい、抱きしめてほしい
・ここまで孤独に頑張ってきたことを褒めてほしい、頑張ったねと言って欲しい

…おそらくこれは、私が密かに親密な人に期待をしていること。その気持と、大人の対応が矛盾して、もやもやしているのだろう。

そろそろ眠たくなってきた。
誰からも見つからないように小さく丸くなっていた私のインナーチャイルドを、娘と反対側にそっと抱き寄せながら、今日は眠ろうと思う。
おやすみ私。そして、おつかれさま。

あと、そうだ。父と一緒に携帯ショップに行ってあげようかな。名案が浮かんだので、よく眠れる気がする。


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