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2冊目のロルバーン


以前、8か月前にわたしが

の記事のころに使用していたロルバーンのノート(記載の記事のサムネのもの)を使い切ったため、この間新たにロルバーン2冊目に突入した。使用した期間は約1年半ほどだった。

リンク先での記事ではわたしのロルバーンの使い方について書かれており、そしてこの記事でもしれっとわたしとロルバーンについてなど、その書いている内容について触れるため(なるだけ解説するようにはしたい)もし気になる場合は先に目を通して頂けるともしかしたらスムーズかもしれない。

この記事自体を公開したのは8か月前だが、使い始めの1年半前の自分を思い出すと、自覚できるくらい自分自身の変化を感じる。
以前より社会と円滑に溶け込めるようになったと、自分を好きにはなれている。自分でそう思えており、3~1年半前のわたしからしたら本当に信じられないと思う。
自己肯定感小さじ1から大さじ2くらいまでいっていいんじゃないか。いや2はさすがに多すぎるかもしれない。いやでも前より「自分が嫌い」と思う回数が減った。ちょっとしたことで行われる自己反省の時間が減った。人と話す時に気軽に話せるようになってきた。1年半でこれは、大進歩と言って良いのではないだろうか。

わたしのロルバーンの使い方というかルールとしては、「なんでも書いて良い」ということを決めている。自己反省、嬉しかったこと、美術館の半券、TODOリスト。最近であればステッカーを使いコラージュなんかもしている。急に横書きにもなる。順番は気にしない。見返したいときもあって、たまにどこのページか分からなくなるけれど、厳密にページを仕分けると間違ってしまった時に萎えてノートを開かなくなるからそういう事はしない。

見返す時に目的のページを探す時間も、実際に手で文字にする時間も、わたしにとっては必要な時間だから、それで良いと思っている。

手書きによって生まれる自分のためだけの時間がわたしには必要なのだと思う。

ロルバーンって何書く?/麦居イ

この記事を書くにあたって自分でも読み返していたのだが、この部分があまりにもめっちゃわかる~…となって一旦読む手を止めた。これでしかない。わたしがロルバーンに書く理由はこれだ。今でもこれは変わらない。
わたしにはまだこの時間が必要である。まだというか、この時間を無駄であると感じてはいないのだから、別に良いのだけれど。
わたしは自己反省や分析で整理をしている時も、今日のやることを書き出している時も、思い出や絶対に忘れたくない出来事も、残った文字は見返すことが出来る「もの」になるけれど、手書きで書いている「時間」に一番の意味がある。
と、思っている。いや、毎度毎度「この時間まじで大事」とかは思って書いてなんかない。なんとなく誤解を招かないようにしておきたかったため追記する。なぜ自分に書くことが合っているのかと考えた結果であるので、わたし一人の影響力なんぞたかが知れているし言う必要はないのは百も承知だが別にみんな好き勝手書いてほしい。ロルバーン、かわいいデザインたくさんあるので。一部ショップ限定デザインとか。あれ困る。いやロルバーンじゃなくてもいいけど。いやそもそも文字にしなくても良いけど。

自己評価で成長した、と言えるようになったわたしにはこれは必要なものだったし、また今の自分がベストであるとは微塵も思っていないので、今後もきっと必要になると思う。
めちゃくちゃかっこつけて言うとこれはもしかしたら成長日記的なものになるのかもしれない。TODOリストの割合そこそこあるし「洗濯」とか「作り置き」とかって絶対毎回書いてるけど。でもわたし自身の根幹をここに書いているのは事実だから、2冊目の半ばぐらいの時に1冊目を見返したら面白い、とかはあるのかもしれない。

1冊目のロルバーンのデザインは、青をベースに花のデザインで箔押しされていたり、青が好きなわたしにとっては見つけた時にとてもときめいた1冊だった。そんなお気に入りの1冊を使いきれたことに小さくも確かな嬉しさがある。
2冊目の今回も目を引いたのは青がベースのロルバーンだが、前とは異なって可愛らしいスイーツのデザインだ。また時間をかけて使っていこうと思う。

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