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乳がん発覚。手術までの期間。

2022年5月の検診で、乳がん発覚。2022年8月上旬に全摘出手術。
今日から3週間後、同時再建で2週間入院します。
術式が決まり少し現状にも慣れてきたところ。

45歳。小さな広告会社を経営してます。結婚も他の人のイベントにしか思えてなかったからか?だいぶ遅かった。年齢的に最後かもしれないと思い、不妊治療をゆるーく開始。ゆるーくとは、全く刺激を加えない、まっさらな状態で、採卵し、そのまま移植。ホルモン補充はせず、何度かやって着床は1回だけ。最近採取した凍結胚を1つ残した状態で、乳がんが発覚した。

乳がん告知を受けた時は、「まじか」「やはりきたか」と声に出したかもしれない。母親と叔母が「乳がん」で亡くなっている家系だからだ。

不妊治療は、年齢的な限界が近いのは自覚しつつ、強い薬を使用しないとダメとかドクターストップがかかったらあきめよ。と毎月採卵にいくのがルーティーンの感じでやっていた。胚盤胞までなかなか育ってくれないし、医者もそろそろ言ってくるだろうとは思っていた。

乳がん告知ときは、がんになってしまっただけでなく、「子をもつ」という僅かな望みが絶たれてしまい、「子どもを諦める人生」ということを受け入れられない自分がいたように思う。告知の日は、病気のことを説明している先生の話はお経のようで、理解しようとも、全く入ってこなかった。

告知の後は検査の日々で、この1ヶ月は壮絶だった。決断の連続。普段即決することが多い性格だったはずが、まあ「決められない」ことが多った。そもそもわからないことが多いのだ。医者は提案はするが、当然選択はこちら側にある。

本を読みあさったり、身近な人に相談したりした。乳がん発覚のこの時期をずっと忘れないだろう。そしてこれから5、10年と闘病生活をおくる中で、日々感じたこと、病気をして変わったこと、会社のこと、家族のこと、日常を綴ってみたくなった。

先週は、同じ病気を経験した人を紹介してもらった。そして彼女が体験して良かったことを、教えてくれた。同じがん患者として気持ちに寄り添ってくれた。初めてあった彼女の病気は再発し骨に転移していた。勝手にシンパシーを感じ、彼女と別れたあと、帰り道、「どうか、彼女のがんがこれ以上悪化しませんようにと祈っている自分がいた。インパクトのある出会いだった。

そんなこんなで、自分の本当の声に耳を傾けてみたい。そして私の経験が誰かの役に立てることがあるかもしれないと思うと、力もわく。

厄介なことになってしまった2022年の夏。それでも確実に立ち向かわなければならないガンという病に、定期的にやってくる人生の荒行に、ため息がとまらないが、なんとか日々前向きに、過ごしてみたいとおもうのである。

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