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インディゲームは基本レッドオーシャン

こんにちは。普段は「むげんびっと」の名前でtwitterなどでゲーム制作を発信している40代のおじさんです。
40歳を目前にして個人的にゲームを作り始め、今では本業だった建築士の仕事を辞めて、ゲーム開発がメインとなっています。(これまでの経緯を知りたい方は過去のnoteをご覧ください)

これを読んでくれている人は、ゲーム制作をしている人か少なからずゲーム制作に興味を持っている人が多いと思います。皆さんは楽しくゲームを作れていますか。そして思い描いたような生活が送れていますか?

僕の場合はゲームを作り始めて5年目に法人化して、今年でゲーム制作7年目を迎えましたが、売上は今もまさにジェットコースターのように日々上下していて、安定には正直程遠い状況です。

僕はインディーゲーム制作に出会ったことで新たな夢を持つことができましたし、建築士の頃よりも視野が広がって人生が豊かになったので、今の生き方を選んだことに後悔はしていません。

ただし良いことばかりではありません。楽しみながら作っていた趣味の段階から、生活費を稼ぐための仕事へとステップアップした途端、常に売上や評価を気にしなければならず、結果的に新たなストレスを抱えることになっているのも事実です。

感覚的にはインディーゲームで食べていけているのは、ゲーム製作者の1割にも満たないのかなと思います。その中でも私のように、贅沢しなければなんとか食べていけるレベルの人や、自分のゲームを作りながら副業的に誰かの手伝いをしている人も多いと思うので、純粋に自作のゲームの売り上げだけで不自由ない生活ができているのは、きっと全体の1%程度だと思います。

作ったゲームが世界的に大ヒットして億万長者の仲間入り、というイメージを持っている人もいるかもしれませんが、そんな人は世界でほんの一握り。
リリースされるインディーゲームも年々増え、普通に面白いだけのゲームでは話題にも上がらないのが今の現状、つまりはレッドオーシャンです。

大事なのはやりたいことか、富や名声か

ではゲーム制作だけで生活するのは無理なのかと聞かれれば、僕はやり方次第でチャンスはあると答えることにしてます。
でも、生き残るための生存戦略を立てておかなければ、間違いなく難しい。

生存するための戦略、それは間違いなく安定した収入を得ることです。ではゲーム製作者の中でそれを意識している人がどれだけいるのでしょう。

先日このようなツイートをしました。
人生であと1つしか作品を作れないとしたら、どちらの作品を作りたいですか?

A)自分の思い通りに作れて大満足だが、無名のまま売れない作品

B)売れるために妥協して不満が残るが、世界的に大ヒットする作品


結果はAを選んだ人が42%、Bを選んだ人は58%という結果でした。
人生であと1つしか作品を作れない、という意地悪な条件だったので、死ぬまでに満足できる作品を作れないのは後悔するのでAという意見や、すでに満足できる作品は作れたかのでヒット作が生まれれば過去作に触れてもらえるからBを選ぶ、といった意見がありました。

この質問にはどちらが正しいといった答えはありません。自分の思い通りに作品を作って、その中で世界的ヒットが生まれるのが理想ですが、もしヒットに恵まれなくても自分の思うままに作品を作れたなら、本当はそれでも十分幸せかもしれません。

しかし、インディーゲームを作りながら「食べていく」ことを目標にするなら、答えはBしかありません。
いい作品を作れたという、作家の自己満足では食べていけないからです。
この質問をした対象は「何かを作っている人」という括りだったので、趣味で作っている方も含まれていたでしょう。でも「何かを作って食べていっている人」が対象だったら、Bを選んだ割合はもっと多かったと思います。

売れれば魂を売る必要はない

これは売れることが正義という意味ではありません。
でもどれだけ熱い想いやこだわりを詰め込んだとしても、そのゲームを誰も遊んでくれなければ悲しい。自分の伝えたいことが表現できれば、誰にも理解されなくていいというスタンスはもはや芸術家の領域です。それに芸術家だって、売れないより売れた方がいいに決まっている。

画家のゴッホはよく「孤高の芸術家」などと呼ばれますが、それは生前に評価されなかっただけで、本心では売れたかったはずです。それにピカソや岡本太郎は生前から評価されていましたが、死ぬまで自分の作風を曲げることはしませんでした。それは十分な富を得ていたので自分を曲げてまでお金を稼ぐ必要がなかったからです。

売れることで作品の魂を売る必要がなくなる。その結果、自分が満足できる良い作品も作れるということになります。
あの作家はお金を稼ぐために魂を売った、なんていう言葉を耳にすることがありますが、あれは単に作家としての旬は過ぎているのに、作品が売れ続けているようなサイクルに対して、妬みや嫉みを込めているだけだと思います。

曖昧な目標は呪い

世界のゲーム人口は年々増えています。それに比例して開発者も増え続けているので毎日数えきれないほどのゲームが誕生しています。そのためレッドオーシャン化は加速しているように見えます。
しかしゲームのジャンルもどんどん細分化されているおかげで、むしろ僕らのようなインディーゲーム開発者は、生き残り戦略を立てやすくなっていルのです。

例えば、アクションRPGというジャンルで勝負しようとすれば、エルデンリングやゼルダの伝説、スカイリムといった大作がたくさん存在するので、そのような名作と競っても敵う訳がありません。

でも、例えばそれが80年代の日本を舞台にした高校生ヤンキーが主人公のARPGだったらどうでしょう。そんなコンセプトのゲームなら、おそらくほとんどの有名どころのゲームとは毛色が異なるので、滅多に競合することもないと思います。また多くの人が「RPGは異世界でモンスターと戦うもの」と思っているはずなので、そんな異色のゲームは多くの人にとってNot For Meだと思います。

それでも10人に1人くらいのユーザーが「こんなゲームがやってみたかった」と、手に取ってくれるなら大勝利です。
AAAタイトルでは味わえない尖った個性、言い換えれば大手でやると赤字間違いなしのクセが強いコンセプト。9割の多数派より1割の少数派に支持してもらえる、ここにインディーゲーム製作者の生存ルートがあると思っています。

インディー開発者の中にも、世界一面白いゲームを目指すと公言している人もいますが、実は「世界一面白い」という言葉ほど曖昧なものはなく、クリエイターだからこそ、この言葉の重みは知っておいたほうがいいです。

まず、世界一面白いという判断は個人の好みでしかなく、面白さを測れる数字はまだこの世にありません。ファミ通のクロスレビューはあくまでもレビュアーの主観的な評価でしかないですし、GOTYについては投票数という指標がありますが、GOTYを獲って世間的に神ゲーと呼ばれるようなゲームですら、全人類にとって面白いと確約できるものではありません。

けれど、ウサインボルトが世界一速い人間だということに異論を唱える人はいないでしょう。なぜなら世界記録という数字を持って証明できるからです。
世界一美味いカレー、世界一泣ける映画などがそれを証明できないように、美味しさや喜怒哀楽といった感覚的なものを数字で表して優劣をつけることは本来無理なのです。

そのため、世界一面白いゲームを作る、という目標は一生かかっても辿り着けず、開発者にとって呪いの言葉になりかねないのです。
(もちろん世界一おもしろいゲームを作りたいと心の中で思い続けることは、むしろ開発者として当然の姿勢です)

魂を売らずにゲームを売る

そうなると食べていくために目指すものは、やはり売り上げ目標しかありません。
ではゲームの売り上げがいくらあれば不自由なく暮らせるのか。その金額は人によって違うので一概には言えません。例えば一人暮らしで地方住まいの方なら500万も稼げば十分豊かな生活ができると思いますが、都心で子供を育てているなら到底足りる額ではありません。
これは私の個人的な考えですが、豊かな生活というのはストレスを溜めないことだと思っています。現代人はストレスも多いと思いますが、やっぱり一番身近なのはお金に関することが多いと思います。

欲しいものが買えないストレス、毎月の支払いに追われるストレス、老後の生活に不安を抱えるストレス、それらを感じることなく暮らせるならどれだけ幸せでしょうか。(ちなみに僕はこれらのストレスを今も大いに抱えたまま生きています)

僕は、上記のお金のストレスから逃れるために、まずは年収1000万円を目標にしたいと思っています。

年収1000万円を達成すれば、まだ稼げると欲が出るのかもしれませんが、小市民の僕には十分すぎる額です。たまに好きなものを食べて旅行に行けるくらいで満足です。
そして、できればさらに上を目指したいですね。ここで十分だと満足した瞬間に、人の成長は止まりますから。

ちなみに僕が年金をもらえるようになる20数年後は、おそらく年金制度も崩壊状態だと思うので、僕らの老後は貯金がないと厳しそう。それも円ではなく外貨で持っておいた方が良いので、こういう時に外貨を稼げるゲーム製作者はラッキーだなと思います。

ということで、まずは1000万円稼げるゲームを目指して作っていきます。
そしてその作品の中には、自分の思いやこだわりを売上の支障にならない程度に、バランスよく詰めていくつもりです。
その目標を達成したらさらに上へ。自分はもっといけるはずだと、自分自身を信じてあげることこそ、孤独な個人開発者には最も必要なことだと思います。

魂を売らずにゲームを売る。それは特別なことではなく、当然のことだということをこれから証明していきたいと思います。

どうやって証明していくかについてはまた次回に。




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