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フクロオニ(前編)

 埼玉にある道の駅で休憩をしていると、1台の青いフィットが入ってきた。クルマから髪を七三に分けた男が降り、ニヤニヤしながらこちらへやって来る。
「ねえ、桑田。あの人と知り合い?」わたしは小声で桑田に尋ねた。
「どの人?」秩父ラスクを持ったまま、桑田は振り返る。「知らねえな。お前の知り合いじゃねえのか?」
 残念ながら、わたしにも見覚えがなかった。ほかのテーブルの誰かかと辺りを見回すが、外にいるのはわたし達だけである。
 ただこっちの方向に歩いているだけなのだろうか。やけに馴れ馴れしい笑顔なので、てっきり自分達に向けられたものかと誤解してしまう。

 けれど、勘違いではなかった。わたしの前で立ち止まると、軽く会釈をする。
「やあ、どもども~。むぅにぃさんとお見受けしますが?」
「えっ?」わたしは思わず、秩父コロッケを落とした。「あの、どちら様ですか?」
「あ~、わたくし、通りすがりの埼玉県知事なんですよ。花園のほうへ向かう途中だったんですがね、ちらっと見たら、物産展の前のテーブルに見覚えのある顔があるじゃあないですか。ああ、あのお方はむぅにぃさんだな、すぐにピンと来ましたよ~」妙な節を付けて、まるで歌うように話す。
「どこかでお会いしましたっけ?」膝の上に散ったころものカスを払いながら、わたしは尋ねた。
「いえいえ~。直接の面識はありませんです。東京都知事のつてでうかがい知ったわけでしてえ」
「はあ……」都知事が、なんだってわたしのことなど埼玉に伝えなければならないのだろう。

 わたしが飲み込めていない様子を察したのか、付け加えて言った。
「ほらほら~、この間、オリオン座だかプレアデスだかから、地球に出前があったっていうじゃないですか。むぅにぃさん、確か宇宙特使に任命されたんですよね~」
「へーっ、お前、偉かったんだ?!」桑田が横から、びっくりしたような声を挟んでくる。
「ちょっと、ちょっと!」そばで誰も聞いていないことを祈りながら、わたしは制した。「それはあの日だけの話ですってば。いまはただのパンピー、つまり一般市民なんですから」
「じゃあ、現在は宇宙特使ではない、そう言うんですか~?」と県知事。
「ええ、そうです。なんの肩書きもない、暇人です」
 すると、わたしの両手を取って、嬉しそうに叫ぶのだった。
「こりゃあ、好都合~。ラッキィ、サイコ~!」
「おい、むぅにぃ。この人、大丈夫か?」耳元で桑田がささやく。わたしも、その点が甚だ疑問だった。

「あ~、これは失礼しましたあ」埼玉県知事が詫びる。「実はですね~、川口駅周辺に近頃、妖怪が出没して困ってるんですよ」
「どんな妖怪です?」 
「フクロオニっていう、これがまた面倒な奴でしてね~」
「聞いたことねえな、そんな妖怪。『原色妖怪大図鑑』に載ってたかな……」桑田がぼそぼそとつぶやく。
「知らないのも無理はありませんね~。なんせ、川越生まれ、大宮育ちなんすから」
 埼玉県知事は、妖怪・フクロオニについて、かいつまんで話してくれた。
 なんでも、本体はダニくらいの大きさだという。「袋」と名の付くものならなんでも好きで、落ちている紙袋だの、ビニール袋だの、袋から袋へとピョン、ピョン飛び移る、ヤドカリのような妖怪だ。

「そんなもん、袋ごと踏みつぶしまえばいいのに」桑田が言った。
「簡単じゃないんですよ~、これがっ」県知事はふうーっと大げさにため息をついてみせる。「奴は、袋に入っている時は不死身です。たとえ、タンクローリーを持ってきたってあなた、踏みつぶせやしませんよ~」
「何しろ、妖怪ですもんね」わたしはうなずいた。血肉を備えた生物と、同等に見ることはできない。
「さよう、さよう。ザッツ・ライトですよ。たちの悪いことに、袋に入っていた中身を増殖させ、辺り構わず撒き散らすんですな~。いまや、川口駅周辺の景観は荒れ放題でして」
「じゃあ、肉まんの袋に入りゃあ、肉まんをどんどん出してくれるってわけか?」桑田が口を挟んだ。
「理屈の上ではそうですが、実際のところ、そんな都合よくは行かない。たぶんにフクロオニの勝手な解釈が絡んでましてね~。ま、肉まんの袋から出るもんといやあ、おそらくは、食べかけや腐りかけ、剥がした薄紙でしょうな~」

 ふと、嫌な予感がする。
「まさか、その妖怪と交渉してくれって言うんじゃないでしょうね?」
「ピンポ~ン、アッタリー」県知事は手を叩いた。「妖怪特使を頼めないでしょうか、むぅにぃさん。もう、宇宙特使の任は解かれ、しかも暇だ、さっき自分でおっしゃいましたよね~」
「そんなの困ります。第一、妖怪なんて相手にしたこともないし」もちろん、わたしは断る。
「宇宙人も妖怪もおんなじようなもんですよ~。たいして変わりやしない。事のついでに、どうかお願いしますよ~っ」
「ぷっ、やってやれよ、むぅにぃ。いいじゃねえか、川口駅まで送ってってやるぞ」桑田まで面白がって。
「承諾していただけるんでしたら~」県知事は道の駅を振り返り、物産展から食堂、土産物売り場を見渡す。「ここにあるもの、なんでも無料にしますよ~」

 考えるふりをして目を落とすと、地面の上にはさっきの秩父コロッケ。2口ばかり囓っただけだったが、カリカリでおいしかったなぁ。これが、いくらでも食べられるのか。
 わたしは顔を上げた。
「まあ、川口ならうちからも近いですし、知らん顔もできないですよね。埼玉を越えて都内にやって来るもしれないし。いいですよ、引き受けます!」
「おお~っ、やってくれますか。いつから始めます? トゥモロー?
ネクスト・ウィーク?」
 いまにも踊り出さんばかりの県知事に向かって、わたしは言う。
「トゥディ、です」
(トゥ・ビー・コンティニュー、イエィ!)

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