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売り切れの札がかかる

 デパートの屋上で開かれているビヤガーデンも、今日が最終日。
 中谷美枝子、桑田孝夫、志茂田ともる、それとわたしで、まだ昼間だというのにテーブルに着いていた。
「明日から秋だっていわれても、なんだかピンとこないよね」中谷はジョッキを傾ける。
「8月も終わり、新しい月が始まる、そう表現すればわかりやすいのではありませんか」志茂田が言った。彼は飲むよりも食べる方がいいらしく、取り皿が枝豆の皮でいっぱいになっている。
「プハァッ、秋になったからって、いきなり寒くなるわけじゃあるめえ? おれは明日もビールを飲むぜ」鼻の下についた泡を手の甲で拭いながら桑田がのたまう。
「でも、ビアガーデンは、どこも今日でおしまいだろうね」わたしは、グラスの残りを一気に空けた。

 夏も終わりだというのに、空は少しも秋らしい気配を感じさせない。
 綿菓子のような雲が地平線から湧きあがり、太陽が相変わらずギラギラと照りつける。
「夏が過ぎると、どうして涼しくなるのかな」誰にともなく、中谷が聞く。
「そりゃあ、夏は太陽がぐーんと近づいてくるからだろ?」と桑田。わたしも、うんうんとうなずく。
「ばかなことをいってはいけませんよ、桑田君。地軸が傾いているからに決まっているじゃありませんか。夏と冬、日本ではどちらが日照時間が長かったですかね?」すかさず志茂田が正す。
 あ、そうか。理科の授業で習った覚えがあった。
「へへっ、そうだっけ? 勘違いしてたわ」桑田は照れ隠しに、またジョッキに口をつける。
「ほんと、桑田っていい加減なんだから」中谷は口を尖らせるけれど、相手を非難する資格はないと思う。

 志茂田とわたしがジョッキ1杯を飲む間に、中谷と桑田は2杯ほどのペースで進む。この2人は酒に強かった。
 わたしが3杯目を飲み終え、お代わりを頼もうとすると、まだ半分以上残っていた中谷も、
「じゃあ、あたしもっ」と言って、飲み干す。
「よっしゃ、もう一杯っ!」なぜか、桑田も対抗心を燃やし、ガブガブと水のように流し込んだ。
「ふう、桑田君達につき合うのも、なかなか大儀ですね」仕方なくジョッキを空ける志茂田。わたしと違って、飲めないわけではない。のんびりと味わうのが好きなのだった。
「すいませーん、大ジョッキ4つっ!」桑田が大きな声で店員を呼ぶ。

 運ばれてきたビールには、どうしたわけか泡が入ってなかった。
「泡のないビールって、どうしようもなく侘びしいもんだわね」グラスをじっと見つめながら、中谷が悲しそうな声を出す。
「おーい、店員さん。うちらんとこのビール、泡が入ってねえぞーっ」桑田が不機嫌そうに叫んだ。
 すぐに店員が飛んで来る。
「あ、これは申し訳ございません。すぐに泡を入れさせていただきますので」
 背中に大きなカゴを背負うと、天高くそびえる梯子を慣れた様子で登り始めた。
 やがて天まで達すると、入道雲をせっせと摘み取ってカゴに放り込んでいく。

「へー、ビールの泡って入道雲でできてたんだ」わたしは感心しながら見あげていた。
「なるほど、だからビアガーデンは夏限りなんですか」志茂田もしきりにうなずいている。
 入道雲はどんどん少なくなり、ついに最後の一切れもカゴに収まった。
「とうとう、なくなっちゃったね」と中谷がつぶやく。
「これでいよいよ夏も終わりかぁ」いつになくしみじみとした口調の桑田。
 店員は「何にでも書けるマジックインキ」で、空いっぱいに、

 〔今年の入道雲は、これにて売り切れ〕

 と書き記した。

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