16.影の国

〔「ここが『影の国』なのね」ゼルジーは気味悪そうに辺りを見回す。すべてが色のない世界だった。真っ白な空の下、灰色の大地がどこまでも平坦に広がっている。遮るものなど何もなく、ただ影だけがゆらゆらとうごめいていた。
「『木もれ日の王国』の裏側なのだ」金のローブの男、ロファニーが言う。「よくごらん。森も城も、すべてが影となって染みついているだろう?」
 確かに、見覚えのある景色だった。城や噴水から湧き上がる水、庭に立つ木立、どれもが午後の日差しを受けてできた「木もれ日の王国」の影そのものである。
 ただ、そこには影の主たるものが、何1つないのだ。
「なんだか気持ちが落ち着かなくなる光景だわ」リシアン女王は不安そうに両腕を絡める。
「真っ暗闇じゃないだけよかったぜ」そう強がってみせるのはパルナンだった。「おいら、てっきり暗黒の世界だとばかり思っていたんだ。手探りで歩き回るなんて、まっぴらだもんな」
「唯一、向こうにはないものがあるんだぜ」銀のローブの男、ベリオスが付け足す。
「それはなんですか?」ゼルジーは聞いた。
「ほら、遙か向こうに見えるだろう、先のとんがった黒い塔が。あれこそが、魔王ロードンの住む城だ。そこだけは影でもなんでもない、本物さ」
「あそこに魔王がいやがんのか……」パルナンは、ごくっと唾を飲み込む。
 ゼルジーとリシアンも、キッと見据える。暗黒の塔、そこが自分達の最終決戦場となるのだ。
「では、まいろうか」ロファニーが歩き出す。ベリオスはかたわらに並び、その後をゼルジー達が追った。しんとした静寂の中、足音ばかりが大きく響く。
 暗黒の塔は、行けども行けども同じ大きさに見えた。近づこうと1歩踏み出すたび、足元の地面だけが反対方向に動いているのではないか、そんな気さえする。
「わたし達、本当にあそこまで行けるのかしら?」ゼルジーは焦りを感じていた。
「ちゃんと進んでるのは間違いねえよ」そう答えたのはパルナンだ。「おいら、この木もれ日には見覚えがあるんだ。ここは、『木もれ日の王国』の西の森さ。自分の住んでた森だもん、ちゃあんとわかってら」
「西に向かって進んでいたのね。地面は真っ平らだし、影ばっかりだから、方角がさっぱりわからないわ」リシアン女王の顔には、戸惑いの色が浮かんでいる。
 影の森を抜けると、草原と思しき場所へ出た。地面には、草花の影がちらちらと揺れている。
「影とはいえ、森を出ると、なんだか安心するわね」とゼルジー。
「どこもかしこも、厚みのない影だけの世界。奇妙だわ。いままでに訪れたなかで、一番風変わりよね」リシアン女王は、思い浮かぶかぎりの国を頭の中で比べた。
 草と花の影が次第にまばらとなっていき、あちらこちらに大きな影が斑点のように見え始める。
「ここって、たぶん岩場なんだわ。斑点に見えるのは岩の影ね。もし『木もれ日の王国』を旅していたなら、きっと難所だったはずよ」ゼルジーは、ふうっと溜め息をついた。このときばかりは、「影の国」でよかったとに感謝する。
 岩の影はだんだんと増えていき、しまいに辺りはすっかり真っ黒になってしまった。
「ここは山の影だ。われらはいま、山を越えようとしている」ロファニーが言う。
「山を越えた向こうに、暗黒の塔があるんだ」ベリオスが後を継いだ。
「いよいよなのね」リシアンは、ぎゅっと拳を握る。
「塔が大きく見えてきたわ。感じの悪い建物ね」ゼルジーがぶるっと肩を振るわせた。
「あいつ、おいら達が来ているってことに気付いてっかな」パルナンは、誰ともなしにたずねる。
「ああ、とっくにお見通しだろうな」ロファニーはそう断言するのだった。「奴は、この国のことなら、小石の影1つ見落とさないのだ」
 山は相当な高さと見え、落とす影も延々続いた。けれど、一同に覆い被さっているわけではないので、互いの姿は日なたにいるときのように、はっきりと見定められる。
「まるで、地面に墨でもこぼしたみたいね」そうリシアン女王が例えた。
「墨だったら、今頃は足の裏が真っ黒だぜ」パルナンは言い返しながらも、念のため、自分の足の裏を確かめる。土くれ1つ、付いてはいなかった。
 ロファニー達は、休むことなく歩き続けた。もし本来の「木もれ日の王国」であったなら、草木をかき分け、岩をよじ登り、山を越えなくてはならなかったであろう。けれども、ここは影の世界。平らな地面が続くばかり。さほどの苦労もなかった。
 とうとう暗黒の塔の前までたどり着いた一同。
「さあ、気を引き締めてのぞもう!」ロファニーが鼓舞する。
「待っていろよ、ロードン。かつてのように、おれ達がまた封印してやる!」ベリオスは拳を高く掲げて叫んだ。
 ぽっかりと空いた暗い入り口を、それぞれが胸に強い決意のもと入っていく。
 エントランスは黒曜石の間になっていて、明かり取りから白い光が差し込んでいた。十分に明るいはずなのに、ひどく陰鬱な空気が満ちている。
「中央に階段があるわ。魔王はきっと、最上階にいるのね」ゼルジーが言うと、ロファニーはうなずいた。
「われらが来るのを、いまや遅しと待っているのだろう。小ばかにされたものだ」
「兄貴、油断はならないぞ。なんてったって、かつて手こずった相手だからな」
「うむ、わかってる。全力で立ち向かおう。そして、今度こそはその汚れた力を永遠に封ずるのだ」
 螺旋階段を一歩一歩と上がっていき、ついに最上階へとたどり着いた。広間の奧には、美しく装飾の彫られた黒曜石の玉座が置かれている。
 座してかまえる者がいた。影よりもなお黒い甲冑で身を固めた、たいそう大きな体躯の人物である。魔王ロードンだ。
「久しいのう、ロファニー、それにベリオス。かつてわれを封印した五大元素魔法使いの生き残り達よ。だが、われはそなた達を恨んではおらん。むしろ、感謝すらしておるのだ。長きにわたる休息で、われは以前にも増して力を蓄えることができたのだからな」
「ぬかせ、ロードン。いま1度、お前を倒してやるぜ」ベリオスが意気込む。
「わたし達、5人揃ったのよ。この間みたいにはいかないわ」ゼルジーも杖を前に振りかざした。
「あなたを封印して、『木もれ日の王国』に元の美しさを取り戻すわ!」リシアン女王が決心を口にする。
「おいらがてめえを目覚めさせちまったんだ。自分で撒いた種は、自分で刈り取るぜっ」
 魔王はくっくっと笑った。
「ならば、まずこのわれを玉座から立たせてみせよ。おまえ達にそれができるならばな」
「いいか、みんな。一斉に攻撃魔法を放つのだ。いかに奴とて、同時に魔法を防ぐことはできない」ロファニーが指示をする。
 全員うなずくと、ロファニーは叫んだ。「行くぞっ!」
 パルナンが火炎の玉を投げつけ、リシアンは木の矢を射る。ゼルジーが鉄砲水をぶつけると、ベリオスも鋼鉄の槍を投げつけた。ロファニーは拳ほどの岩をいくつも出現させ、それを勢いよく放り投げる。
 すべては一瞬の動作だった。誰もが勝利を確信した。
 ところが、どの魔法も玉座に触れるか否かというところで、霧となって消えてしまった。
「同じ手は2度と食わぬわ」魔王ロードンは身じろぎもせず言い放つ。「言ったはずだ。われは、より強い力を手にしたのだ。おまえ達の子どもだましな魔法なぞ、指の1本すら動かすまでもないわ」
「ばかなっ!」ロファニーが驚愕する。その思いはゼルジー達も同様だった。
「われは偉大にして寛大な魔法使いである。おまえ達に再度、機会をくれてやるとしよう。出直してくるがいい。そして、もっとわれを楽しませてみせよ!」〕

「わたし達、負けちゃった!」木陰から日なたへと出たリシアンが、呆然としながら言う。
「これ、どういうこと?」ゼルジーも合点がいかなかった。
「ぼく達、ちゃんと5人揃ったのに」とパルナン。
「おいおい、話が違うじゃんか。ここは勝つ場面だろ?」ベリオスが不満をたれる。
「ともかく、みんなでじっくりと考えてみようよ」ロファニーだけが落ち着いていた。「いまはまだ、そのときじゃなかったんだ。でも、きっと解決方法はあるはずさ。それを見つけるんだ」

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