見出し画像

夢を生産する工場

 川向こうには工場がある。昼間は眠ったように静かだが、深夜を過ぎると、まるで人が呼吸でもするように、スウー、ハアーと蒸気を噴き出す。
「あれはなんの工場?」幼い頃、わたしは母に尋ねたことがあった。
「夜の空気を吸って、それをエネルギーに換えてるんだそうだよ」母が教えてくれる。
「エネルギー?」まだ小さかったので、その意味がわかっていなかった。怪獣や正義の味方が飛ばす破壊光線の一種、そんなものを思い浮かべる。
「エネルギーっていうのはね、早い話が電気かなあ。電気、いつも使ってるでしょ? テレビを観たり、明かりをつけたり、みんな電気が要るの。そういうのがエネルギー」
「ふうーん、じゃあ、あそこから電気をもらってるんだ」
「そうだね、うん、そうだよ」

 夜、ふと目を醒ます。耳を澄ますと、遠くの方からかすかに息づかいのような音が聞こえていた。夜だけ稼働する、あの工場だ。
 あるときは物悲しげに、また別な晩には安らかに、いつも違った音を響かせている。それとも同じなのだろうか。聞いているわたしの気持ちが、そう感じさせているのかもしれない。
 今晩は、どこか息苦しそうに蒸気を吐き出していた。
「あれは本当に発電所なのかなぁ。そもそも、夜の空気を原料にするって、いったいどういうことなんだろう」
 枕元にあるはずのスマホを手で探る。表示させてみると、1時を少し回ったところだった。
 無性に人と話したくなり、電話帳を開く。桑田孝夫の電話番号で指を止める。
「さすがに、もう寝ちゃってるだろうなぁ……」発信ボタンを押す直前で思いとどまった。
 代わりにメールを送った。返事が来るとすれば、きっと昼近くになってだろう。
〔川向こうのあの工場。本当はなんの工場だと思う?〕

 驚いたことに、ものの数分と経たず、返信があった。
〔あれか。あれはな、闇を精製してるんだ。夜は地球自身の影だからな、たっぷりと抽出できるんだとよ〕
 それじゃあ、母から聞いたことは本当だったのか。
〔電気を作ってるらしいけど、そうなの?〕わたしはメールを打った。
〔電気? いや、違うぞ。あそこで創ってるのは夢だ。夜、眠るときに観る夢な〕
〔そんなもの作れるの? 作ってどうするのさ?〕
〔この町じゃ、昔っから夢は工場で買うものと決まってるだろうが。住民税に上乗せされてるんだぞ。蒸気に夢の結晶を含ませて、町中に散布してるんだ。知らなかったのか?〕
〔初めて聞いた。うちのおかあさんにも聞いたことがあったけど、そんなこと、ぜんぜん言わなかったよ〕
〔そりゃあ、話が面倒になると思ったんだろうよ。考えてもみろ。宅配ピザみたいに、毎晩、金を払って夢を観させてもらってるんだぞ。ガキにどう説明すんだ?〕
 確かにそうだ。いまのわたしでさえ、こんなに混乱しているというのに。

〔でも、嫌な夢を観た、お金を返せ、なんてクレーム来ないのかなぁ〕 
〔来るだろうよ。おれがそうだ〕桑田からのメールにはそうあった。〔前によ、すっげえ怖い夢を観せられてさ。で、工場に文句の電話を入れてやったんだ。そしたらお前、なんて言われたと思う? 「当社では、夢の返品はいっさい受け付けておりません」だとよ。信じられるか? これが客商売っつうんだからな〕
〔それで、どうなったの?〕わたしは聞いた。
〔どうもこうもあるか。それ以来、夜は眠らねえことにしてんだ。ゲームやったり、テレビ観たりしてな〕
 ああ、それでこんな時間にも起きていたのか。
〔寝なくて平気なの?〕
〔寝てるぞ? 昼間だけどなっ〕
〔じゃあ、結局おんなじじゃん。夢観ちゃうんじゃないの?〕
〔あの工場は夜しか動いてねえんだ。昼間はなーんも夢観ないの〕
 夢のない眠りかぁ。わたしなら、例え悪夢であっても、ないよりはマシだ。

〔あの工場、だいたいが怪しいぞ〕続けて、桑田からメールが届く。〔付近じゃ、奇っ怪な生き物がしょっちゅう目撃されてるっていうし、神隠しも多発してるしな〕
〔へー、そうなんだ〕そういえば、工場の周囲には、やたらと巨大な草花が茂っていたっけ。
〔おれが思うに、闇から夢を創る過程で、何か悪い副産物が一緒に生成されてるんじゃねえかな。いや、絶対そうだ。そうに違いないって〕
〔あんまり怖いこと言わないでよ〕桑田のメールを読んでいるうち、こちらまでだんだんと不安になってきた。
〔脅すわけじゃねえ。だがな、注意していろよ。あそこから買う夢には、どうも中毒性があるらしいんだ〕

 翌朝、目が覚めても、夕べの桑田とのやりとりが気になって思い出される。
「桑田の言っていたあの噂話、本当なのかなぁ」
 わたしはスマホのメールを確認した。ところが、受信フォルダは空っぽ。
「あれ? 間違えて消しちゃったかな」履歴を見ても、着信どころか、送信した記録すら残されていなかった。
 ベッドの上に座って、しばらく考える。
「そうか、あれはみんな夢だったんだ……」
 台所でダイコンをトントンと刻んでいる母に声をかけた。
「おはよう」
「やっと起きた? 休みだからって、ちょっと遅くない?」
「ねえ、おかあさん。川向こうの工場ってさ、あれ――」
「ああ、夜の冷えた空気を循環させて発電させてるっていう?」母は包丁を止めて振り返る。
 なんだ、やっぱりただの発電所だったのか。わたしは窓の外に目をくれた。
 日は高く昇り、川は穏やかに流れている。その向こうで、今は稼働を止めて、しんと静まり返った工場が見えていた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?