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フクロオニ(後編)

 妖怪フクロオニは、埼玉県内を転々と移り住み、いま現在、川口駅周辺で暴れ回っているとのことだった。
「わたしはこれから~、花園――いや~、もう深谷市ですが、そっちへ行く用事がありますんで、またあとで一報などぉ頼みますね~」埼玉県知事は、自分の用件が済むと、そそくさと駐車場へ足を向ける。
「あの、ちょっとっ!」わたしは後ろから呼びかけた。「フクロオニは、どこに行けば会えるんです? 川口の駅辺りって言われても、けっこう広いじゃないですか」
「大丈夫ですよ~。なんせ、ものすっごい勢いで散らかしてますからね~。ぶらぶらしてりゃあ、なーに、すぐに出っくわしますって」それだけ言うとフィットに乗り込み、バタンと戸を閉めてしまった。

「もう走って行っちゃった。さてと、まずは腹ごしらえだよね。秩父コロッケ、山盛りにしてもらおう。桑田、なんでも好きなの食べていいよ。今日はどーんと奢るからさぁ」わたしは桑田に言う。
「何言ってやがる。べつにお前が金を払うんじゃねえ、あの県知事さんが出してくれるんだろが」フンッ、と鼻でばかにする。
 わたしは埼玉県知事、直々に「妖怪特使」を任命された。その特権として、県内の道の駅にかぎり、飲食が無料となっているのだ。
「じゃあ、いらない? それとも、自分のお金で食べる?」
「ばか言えっ、食うに決まってる。食って食って、食いまくってやらあ」足音も荒く、ずんずんと中へ入っていく。
 結果、わたしは秩父コロッケ5つ、味噌ポテト3串、デザートに黒ゴマソフトを食べた。
「もう、食べられないっ。動くのもおっくう……」イスにもたれてお腹をさする。
「だらしねえな。おれは、あとカツカレーも食うぞ」その桑田は、すでに地鶏照り焼き丼、海老かき揚げ丼、そば、うどん、を平らげていた。
「見てると胸焼けしそうだから、そとで湧き水でも見てるね」よっこらしょっと立ち上がると、「ちちぶの水」のそばのベンチに腰を下ろす。
 
 しばらくすると、
「あー、食った食った」と言いながら、桑田が出てきた。「じゃあ、行くか、川口へ」
「食休みとかしなくて平気?」ポッコリと膨れ上がった腹が、ハンドルにぶつかるんじゃないかと心配になる。
「平気、平気。高速、かっ飛ばしていくぞっ!」
 運転席に座る時、やっぱり体がつかえ、シートを後ろにずらさなくてはならなかった。
「食べ過ぎじゃない?」わたしは言う。
「だってよ、お前。タダ飯だぞ、タダ飯。据え膳食わぬは男の恥だろ?」
 それって、意味が違う気がするんだけどなぁ。
 桑田の運転するクルマは、関越自動車道を通って、およそ1時間半後に、川口駅前へと到着した。
「どこにいるのかなぁ。話のわかる妖怪だといいけど」わたしは少し不安になる。もっとも、話し合いにならないからこそ、こんなわたしに頼ってきたのだろうけど。

 クルマを降りて、わたし達は顔を見合わせる。
「きったねーとこだな」ぼそっと、桑田がつぶやいた。「前に見た時は、小ぎれいすぎで、かえって居心地悪いほどだったんだが」
「きれいでもだめ、汚くてもだめ。じゃ、どっちがいいのさ」
「そういことじゃねえよ。行き過ぎはよくねえって話だ」
 どこでも駅の周りは雑然としたものだが、この有り様はひどい。カンやペットボトルは四散しているし、魚の骨だの野菜くずといった生ゴミの異臭もただ事ではなかった。歩道と言わず、車道や人家の敷地までもが、ありとあらゆるゴミで覆い尽くされている。
「おもちゃ箱を引っ繰り返した、なんて表現はよく使うけど、これじゃまるで、ゴミ箱を引っ繰り返したような光景だね」わたしはハンカチを取り出して、鼻を押さえた。
「うちの三角コーナーが懐かしくなるほどだぜ」桑田も顔をしかめ、わざわざ吐く真似さえして見せる。

 歩き出して程なく、数ブロック先で花吹雪ならぬ、塵吹雪がもうもうと舞っていた。
「ね、桑田。あれじゃない? あれがきっと、妖怪フクロオニだよっ」
「おうっ!」
 わたし達は駆け出した。近づくにつれ、小さなつむじ風が見えてくる。つむじ風の内側からは、紙くずや木片などが吹き出されていた。
「つむじ風の足下っ!」わたしは指さす。半透明のビニール袋が、軽やかに踊っていた。
「あの袋んなかに妖怪が潜んでんのか」桑田はつむじ風に、じりじりと近づいていく。「飛んでるのはどれも、燃えるゴミばっかじゃねえか。てことは、あれはどっかのゴミ集積所の可燃ゴミ袋だなっ」
「気をつけてっ!」わたしは叫んだ。袋にこもっている間は無敵なのだ。
 桑田は腰をかがめ、せーのっとばかりに飛びかかる。しかし、誘虫灯に触れた羽虫のように、パーンッとはね飛ばされてしまった。
「いててーっ」尻餅をつく桑田。
「だから言ったじゃん」駆け寄って、起き上がるのを助ける。

「お前、特使なんだから、まずは話しかけてみろよ」桑田が提案した。
「うん……」こんなとき、あの妖怪退治のヒーローがいてくれたらなぁ、そう思いつつ、声をかけてみる。「こんにちは――あのう、フクロオニさん」
 パタッとつむじ風が止んだ。周りで飛び交っていたゴミが、はらはらと落ちて、アスファルトの上に積もる。
「だれかな、おれっちの名前を呼ぶのは」ぺしゃんと潰れたビニール袋から、蚊の鳴くような声がした。そういえば、ダニのような妖怪だとか言ってたっけ。
「あの、妖怪特使のむぅにぃというものですが、ちょっとお話をしたいな、なんて思いまして」恐る恐る、切り出す。
「妖怪特使? なんだそれ。おれっちを退治するってか?」
「しません、しませんっ」慌てて否定した。「そうじゃなくって、平和的に話し合おうと思って、やって来たんです」
「ふーん。で、何を話し合うんだって?」フクロオニは、決して袋から顔を覗かせようとしない。
「つまり、あの、町をあんまり散らかさないで欲しいかなぁ……なんて」用心深く訴えてみた。相手の姿が見えず、顔色もわからない。どんな力を持っているかだって、うかがいしれないのだ。

 しばらく沈黙があった。ひょっとして、怒らせてしまったかな。いっそう暴れだしたら、どうしよう。
 けれど、返ってきた答えは意外なものだった。
「ゴミを撒き散らかされて、迷惑だったのかい?」
「へっ?」
「おれっちにはこれが愉快きわまることだし、あんたらも、てっきり楽しんでくれてるものとばっか、思ってたよ!」フクロオニは、自分のほうこそびっくりしたように話す。「だってそうだろ? だーれも、おれっちに『やめてくれ』なんて言いに来た奴、いねーんだもんよ。もっとやれ、もっとやれ、そんな声さえ聞こえた気がしたもんだ」
 そういうことか。誰かが、もっと早くに話し合いを試みればよかったのだ。妖怪だからどうせ聞いてくれない、そんな偏見が騒動をここまで大げさにしてしまった。
「なら、町をゴミだらけにするのは、もうやめていただけるんですか?」わたしは改めて尋ねる。
「うん、おれっち、意地の悪い妖怪じゃないんだぜ」ちょっぴり、誇らしげに言った。「でも、これからどうやって暇を潰そうかな。きっと、退屈な毎日になるだろう」

 物に憑き、人々の習慣や思いが形となって命を宿した存在、それが妖怪だ。このフクロオニは「袋」に憑いて、かつて中に入っていたものを再生し撒き散らす。それが仕事であり、喜びでもあった。
 そのたった1つの楽しみを奪い、はい、さようなら、ではあんまりだ。
「桑田、どうにかしてやれないかな」
「そんなこと言ってもなあ……」桑田も考え込んでしまう。「こんなとき、志茂田の奴がいれくれたらなあ。あいつの知恵袋なら、きっと何か考えついてくれるに違いねえんだが」
「知恵袋……。そうだ、桑田。それだよっ!」思わず、大声を出していた。
「知恵袋がどうした?」桑田が聞き返した。
 桑田に答える代わり、フクロオニに向かって話す。
「あなたは、『袋』と名が付けば、どこでも入れるんですよね?」
「その通り。何も実際の袋じゃなくたっていいんだ。越谷の大袋駅に、ちょっとだけ住んだこともあるんだぜ。あんときゃ、差し当たって吐き出すものがなくてな、おれっち自身が不平不満を撒き散らかしてたっけが」

「じゃあさ、本とかは? 図書館でもいい。いっそのこと、インターネット回線の中とか」わたしは続けた。
「だが、それのどこに『袋』があるんだ? わっからねえなあ」袋の中で首を傾げる、フクロオニの姿が目に浮かぶようだ。
「そうだぞ、むぅにぃ。おれにもわかるよう、ちゃんと説明してくれ」桑田までもが加わる。
「桑田が自分で言ったんだよ。志茂田は知恵袋だって。知恵袋って、知識が詰まったものを言うでしょ?」
「あっ、そういうことか!」桑田は手をボンッ、と打った。「辞書のこと、確かに知恵袋って言うもんな。インターネットか。間違いねえ、あそこは知恵袋の最たるもんだ。それに、とんでもねえ広さだしよ」

 フクロオニはインターネット内に住み着き、無限の知識を増殖させてばらまきはじめる。町は知識で溢れ返ったが、もともと情報量の多いこの世界、差し当たって迷惑を被る者もなかった。

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