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タクシーを急がせる

 わたしはかなり焦っていた。1分でも早く、羽田に行かなくてはならないのだ。
 いったんは駅に向かったものの、電車の発車時間を見て、とても間に合わないと思い直す。駅前のロータリーへと走り、タクシーに飛び乗った。

「どちらまで?」と運転手。
「羽田まで、大至急お願いします」
「東京から羽田までだと、だいぶかかりますよ。時間もお金も」
「電車よりはだいぶ速いでしょう? あと、こちらの懐具合のことまで、お気遣いはけっこうですから」わたしは言った。
 運転手はカチッとメーターを上げると、
「わかりました。じゃあ、参りましょうか」

 大通りまで出て、もよりのインター・チェンジから首都高に入った。だいぶ空いていて、タクシーは気持ちよく飛ばしていく。
「この分なら、1時間もしないで着いちゃいますね」運転手は機嫌よく話しかけてきた。
「そうですか。よかった」わたしもほっとする。
 シートにもたれながら、(そういえば、なんでそんなに急いでるんだろう)と考えた。羽田といえば空港くらいしか思いつかない。飛行機に乗るんだったっけ?

 汐留ジャンクション付近で混雑してきた。だんだんと速度が落ち、やがてノロノロ運転となって、ついにはすっかり止まってしまう。
「いやあ、参ったな」運転手は頭をポリポリと掻いた。「この辺り、渋滞が多いには多いんですが、こんなひどいのは初めてですよ」
「困っちゃうなあ、全然動きませんねえ」わたしも途方に暮れてしまう。高速道路はスムースに流れているときはいいけれど、こうなると身動きが取れず、かえって不便だ。

「どうやら、台場辺りで事故があったようですよ。そうなると、この先4、5キロはこんな状態ですねえ」
「回り道とかはなさそうですか?」
「うーん……。浜崎橋で降りて、第一京浜を行きますか。たぶん、それが1番早いでしょう」 
 
 車列は、止まったり動いたりを繰り返す。
 ようやく浜崎橋ジャンクションまでたどり着き、タクシーは首都高を降りることができた。
 それなのに、
「あっ、いけねえっ!」運転手が声をあげる。
「どうしたんです?」嫌な予感がした。
「それがね、降りる場所を間違えて、『旧市街地』に出てしまったんですよ」

 進むにつれ、車窓から見える風景はどんどんすさんでいく。まるで紛争地帯のような荒れようだ。
「ここいらで、いったい何があったんです?」わたしは運転手に尋ねた。
「ほら、いまはやりの『IT企業』ってやつ。そうしたもんを軒並み建てて、シリコン・バレーみたいな町を作ろうとしたんですよ」
「へー。それがどうして、こんなゴースト・タウンに?」
「ITバブルが弾けちゃって、頓挫してしまったんですなぁ。もう、どこからもお金が出ないってわけで」
 なるほど、またしてもバブルか。懲りないな、わが国も。

「話はわかりましたから、引き返して羽田に向かってもらえますか」わたしは頼んだ。
 運転手は残念そうに首を振る。
「そうしたいんですが、この道は引き返せないんですよ。ご覧なさい、後ろを。走ってきた道路が、どんどん崩れていくでしょう?」
 振り向くと、アスファルトが次から次へと陥没していくのが見えた。
「つまり、走り続けるしかないわけで」運転手は続ける。「たぶん、あと2日も走れば、この街を出られるはずです」

「ガソリンは持つんですか?」わたしは心配した。
「それは大丈夫です。ですが、ほかに気掛かりなことがありまして」
「なんです?」
 運転手はルーム・ミラー越しにわたしを見る。
「この街からは出られるんですが、その先に『東京砂漠』が広がっているんですよ。その辺りでガス欠になります」
「はあ、それから?」
「救援が来るまでの間、わたしたちはそこで過ごさなくてはならないんですなあ、これが」

 わたしは今度こそ頭を抱えてしまった。
 助けはいつやって来るのだろう。生きているうちに、見つけ出してもらえるだろうか。

「こんなとき、銀の靴があればいいんですがねぇ……」運転手が力なくぼやいた。「かかとを3回打ち鳴らして行きたい場所を唱えると、魔法の力で飛んで帰れるっていう、あの靴ですよ」
 こんなときに何を言う、わたしは胸の内で切って返す。けれど口に出しては、
「途中にエメラルドの都があったら、ちょっと寄ってもらえますか」
 そう答えた。

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