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真夜中の引っ越し

 真夜中の散歩をしていると、マンションの前で引っ越しが行われていた。
「こんな時間に酔狂な人だなぁ。どんな変人か、ちょっと見てやろう」
 そう思い、トラックのそばで作業員にあれこれと指示を飛ばしている人物を覗き込む。
「あ……」とわたし。
「おや……」ほとんど同時に相手も口を開く。
 友人の志茂田ともるだった。

「このマンションに越してきたんだ、志茂田」わたしは話しかける。「それにしたって、なんだってまた、こんな時間に?」
「引っ越しは夜にかぎりますよ、むぅにぃ君。道は空いているし、何より、このこそこそとした卑屈な感じがたまらないのです」志茂田はそう言い、喉の奥でヒッヒッヒッと妙な声を立てた。

「そう、じゃあ引っ越し頑張ってねっ」さっと手を振って帰ろうとするわたしを、志茂田は呼び止める。
「お待ちなさい、むぅにぃ君。せっかくだから、手伝ってもらえませんか?」
「え~っ」わたしは力仕事が大嫌いだった。
「まあまあ、そう言わずに。軽い荷物だけでいいのですよ。手伝ってくれたら、牛丼でも奢りましょう。この近所に、新しい店ができたのですよ」
「また、牛丼か。まあ、いいよ。渋々と手伝うよ」あきらめて、腕まくりをする。

 引っ越し業者達に混ざって、トラックの荷台に上がり込んだ。できるだけ小さくて、軽そうなものを探す。
「それなんかどうだい?」業者の1人が、隅っこの小箱を指差した。
 持ってみると、ちょうどいい重さだった。箱には「わたしの恥ずかしいものあれやこれや」と殴り書きがしてあった。何が入っているんだろう……。

 マンションのエントランスはとても広く、エレベーターが何基も並んでいた。志茂田の部屋は32階の突き当たりだというので、その階行きのエレベーターに乗らなくてはならなかった。
「この3っつ目のエレベーターかな?」上りボタンを押す。

 エレベーターの扉が開くと、蝶のモンスターがいきなり2体現れた。
 毒々しい派手な色をした羽を、エレベーターいっぱいに広げ、横一列、きっちりと並んでいる。

 蝶の頭上に吹き出しが浮かんだ。
 〔蝶Aの攻撃! 羽をばたつかせて、鱗粉を飛ばしてきた!〕

「けほっけほっ――」鼻や喉がイガイガする。ベランダで布団を叩いて、煽り風で埃を吸い込んでしまったときのようだ。

 続いて、もう1匹も攻撃を仕掛けてくる。
 〔蝶Bの攻撃! 触角から「怪しい電波」を放った!〕

 普通、電波というものは目に見えないものだが、紫色をした大小の輪っかが、まるで「でんじろう砲」のように放たれた。
「痛いっ、イタタタッ!」体が痛いのではない。精神的にチクチクと突き刺さるのだった。

 次はわたしのターンだ。蝶達はじっと待っている。
 反撃をするにはどうしたらいいのだろうか。こっちは「鱗粉」も「怪電波」も飛ばせない。
 ふと、この「わたしのはずかしいものあれやこれや」の箱を開けたら、どうなるかな、と心をかすめた。
 もしかしたら、世界が崩壊するとか、何かとんでもない事態を引き起こすかもしれない。時間が逆戻りを始めて、宇宙がなかったことになってしまう可能性だってあり得る。
 どちらにしても、このままではまずい。わたしはなんとしても、上の階へと行かなくてはならないのだ。

「えーい、開けちゃえっ!」蓋をとめていたクラフト・テープを、ベリリッと剥がすと、中身を蝶に向けた。
 〔むぅにぃの会心の一撃っ!〕

 2匹の蝶は、たちまちにして消え去った。ああ、やっとエレベーターに乗れる。

 32階に上ってみると、志茂田が部屋の前でわたしを待っていた。
「ずいぶんと遅かったですね、むぅにぃ君」
「それがさ、エレベーターで蝶のモンスターとエンカウントしちゃって。しかも、バトルまで繰り広げてきたんだよね」わたしは説明する。

「あっはっはっ。そうでしたか、戦ってきましたか。それにしても、いきなり蝶と対戦とは」と志茂田。
「蝶って強いの?」わたしは聞いた。
「もちろんですとも、むぅにぃ君。それにしてもあなた、よく勝てましたね。どんな卑怯な手を使ったのですか?」
 わたしは脇にかかえた小箱を、志茂田に差し出す。
「この中を見せただけなんだけど」

 志茂田はまるで、「つうこんのいちげ」を受けたようにその場で固まった。

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