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高架橋の向こうを目指して

 高架橋のすぐ下の遊歩道を、わたしはずっと歩き続けている。
 橋桁と橋桁の間はコンクリートでふさがれ、反対側へ渡れないようになっていた。
 わたしは、どうにかして向こう側へ行きたかった。どんな町並みが広がっているのだろう。どういった人たちが暮らしているのだろう。その全てを知りたいと願った。

 高架橋に貼り付くようにして、赤い屋根の保育園が建っている。どうも見覚えがあると思ったら、子供の頃に通っていた園だった。
 通用口から1人の職員が現れる。黒縁眼鏡をかけた保母さんだ。
「あら、むぅにぃちゃん」わたしに気づいて、ニコッと笑いかける。
「前川先生、お久しぶりです」わたしも軽く頭を下げた。「この高架橋は、いったいどこまで続くんでしょうか?」
「あなた、まだ向こう側へ行くことをあきらめてなかったの? 昔っから強情だったわよねぇ」前川先生はため息をつく。
「だって、どうしても行ってみたいんです。もしかしたら、あっちの方が面白いことがいっぱい、あるかもしれないじゃないですか」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。ごめんなさい、わたしにはわからないわ」
「そうですか。もっと先へ行ってみます。では、失礼します」
 わたしは遊歩道に戻った。

 途中、ベンチにかけて休んでいる男に出会う。
「あのう、前にどこかでお目に掛かりませんでしたっけ?」わたしが尋ねると、相手はギクッとして目をそらす。「どうかなさいました?」
 観念したように、おそるおそる顔をこちらへ向けて言った。
「あっしは、あんたがまだ10かそこいらのときに、あんたんとこのうちへ盗みにへえったことがあるんでさ。あんたも、あんたの親御さんもすやすや寝てたから、知るわけがありませんがね」
 わたしは男の目をまじまじと見つめ返す。確かに、泥棒に入られたことは覚えている。あれは、小学4年の夏だった。そのときの泥棒がこの男なのか。
「もう、過ぎたことです。盗んだ物と引き替えに、あなただって、心の痛みをそこで拾ってきたじゃないですか。それでおあいこということにしませんか?」
 元泥棒は、袖で鼻をぐしっと拭った。
「ありがてえお話です。あっしなんか、引き倒されても、蹴られても文句はいえねえってのに……」
「先を急ぎますので、これで」
 わたしは歩きだした。

 鉛色のコンクリートは、いっかな途切れることがない。せめて、階段でもあって、乗り越えて行ければいいのだけれど。
 そういえば、この上を走っているのは新幹線だろうか、それとも高速道路なのだろうか。
 耳を傾けてみるものの、 物音1つ聞こえてはこない。
 
 後ろから自転車が走ってきた。振り返ると、郵便配達員がわたしのそばまで来て停まる。
「むぅにぃ様ですね?」と郵便配達員。
「はい、そうですが」
「お届け物です」そう言って、封筒を差し出す。
「ご苦労様です」受け取った封筒を、その場で開けてみた。手紙が1通、入っている。広げると、ピンク色のアサガオの押し花がはらりと落ちた。
 アサガオを拾い、そばのキノコ型のイスに座って手紙を読む。

 〔君がこれを読んでいるということは、まだ「向こう側」へはたどり着いていないということだよね? 焦ることはないさ。信じるものがあるんだったら、そのまま行けばいい。そういうもんなんだよ、人生って〕

 差出人の名前を見て懐かしさが込み上げてきた。中学2年の春に転校してきて、その年の夏休み中に引っ越していった友人だった。
 短い間だったが、たくさんのことを話し、数えきれないほどの思い出を作った。
 花が開いたら押し花を作ろうね、と約束したアサガオのこと、まだ覚えていてくれたんだなぁ。

 実は、向こう側へ行くことを半ば、あきらめかけていた。この高架橋は、永遠に続いているのではないか、そう思えてきたからだった。
 けれど、手紙を読んで、また元気を取り戻すことができた。世界がどんなに広くとも、歩けるかぎりは進んでやろう。
 
 わたしは立ちあがり、ポケットに手紙を押し込んだ。

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