綺麗な世界

皆さんこんにちは。moneです。

みなさんは世界を美しいと思った事はありますか?
素晴らしい風景。美味しい食べ物。などなど、世界にはいろいろな物で溢れています。
そんな世界の事を考えていると、自分の悩みなど小さなものに感じてしまいますが、それはそれ、これはこれ。

私は一度だけ、世界が美しく見えた瞬間を覚えています。

その頃私は漫画の養成学校に通っていました。年齢はおそらく20歳ぐらいだと思います。
当時、不眠に悩まされ、親に内緒で心療内科に通って眠剤を貰っていました。
何故私はこんなに苦しいのだろう。何故私はこんなに泣きそうなんだろう。
電車に揺られ、そんな事をぐるぐると考えていました。

ふと、窓の外に目を向けました。
町は陽ざしにあふれてキラキラしていました。
住宅も、歩いてる人も。電車待ちで並んでいる人たちも。みんなみんな、私とは関係のないものだと思っていました。


その時閃いたんです

(あぁ、死ねばいいんだ)

こんな綺麗な世界で、きっと周りには死にたいなんて思ってる人はいない。
みんなもっと頑張ってる。でも、きっとみんなの世界はこんなにキラキラしていない。
私、ひとりぼっちだけど、死にたかったんだ。

死にたい

その言葉はストンと私の心に落ちていきました。
今までの言い表せない様な鬱屈とした感情は「死にたかった」からなんだ。

その瞬間。私は自分が泣いている事に気づきました。
周りの冷ややかな視線を無視して、私は泣き続けました。
そして学校に行かずに、カフェで煙草を吸いながらバイトの時間までひとりでいました。

当時ツイッターはやっていなかったので、話す相手はいませんでした。
勿論、家族にだってこんなこと言えません。
むしろ家族に申し訳なさすぎて「駄目な子供でごめんなさい」と何度も思いました。

けれど「死にたい」という一つの感情で私は自分が今どこに立っているのかを考えることができました。
終わりが見えなかった心の中に、一つの光が差し込んだ様な気がしたのです。


その後わたしは心療内科で精神分裂病―…統合失調症であると診断され、薬物療法である程度気持ちを抑えることができました。

今でも「死にたい」と思う事があります。
そこで最近私がはまってるのが、遺書を書くことです。

携帯にロックはかけていません。私は携帯のメモ帳に遺書を作成し、何かがある度に更新しようと思っています。

遺書なんて物騒だ、という人もいるかもしれません。
だけど、遺書を書くことで気持ちの整理がつきます。
(あぁ自分はこう思っていたのか)
(こんな気持ちを持ってたなんて)
そういうのを気づかせてくれるのです。

遺書を書くことにあたって、いちばん多く使った用語は「ありがとう」でした。
お母さんありがとう
旦那ありがとう
妹ありがとう
私は幸せでした。

そう書いてあります。

遺書は書くだけで、実際に未遂をおこすわけではありません。
そして私は、まだ生きたいと思っています。
死にたいと、生きたい
その二つが私の中にあるわけです。
これはとても苦しいです。
心は死にたくても、体は何事もなく生きていきます。
当たり前です。心という臓器はないのですから。

いつか、なにかしらの形で私は死ぬでしょう。
自殺なのか、事故なのか、トラブルに巻き込まれるのか…
それはまだわからないけど、家族をおいて死ぬわけにはいかないから。
私はまだ、生きようと思います。

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