世界樹への旅路

旅に出る冒険者が若者ばかりだなんて誰が決めたのだろうか。

光峯(46)の旅立ち

天気の良い昼下がり。
オフィス街の中央に大きく広がる公園の一角で、ビジネスバッグから弁当を取り出した。
弁当を覆うのは濃紺と緑のチェック柄の大判ハンカチ。私には違和感のないものだった。
しかし、ハンカチを剥がしたところに出てくるのは、擦れた絵柄の魔法少女のお弁当箱。
同僚にこれを見られるのが嫌で私はいつもここで弁当を食べているのだ。
鈴木光峯46歳。地方都市に努めるシステムエンジニア。学生時代にパソコン通信でプログラミングを始め、今に至っている。
どこにでもいるような人間。それが私。

さて、今日の弁当は卵焼きの端っこと、焦げたウィンナー。昨晩の余り物の副菜とおそらく炊飯器の表面で乾いていたごはん。
高校生になる娘のお弁当の方が見栄え優先とは言え、一家の為に働いている私の弁当がこれというもの寂しいものだ。
しかし、このご時世。派遣で働いている妻にお弁当を作ってもらえるだけでもありがたいのだ。料理が出来ない男性は文句を言ってはいけないらしい。
会社でも冴えず、家庭でもパッとしない私はこの先もきっと同じようなお弁当を食べて同じような仕事をしていくのだろう。
それはそれで平和なんだろうな、と考えた時誰かが肩を叩いた。一瞬上司かと肝が冷えたがそこにいたのは全く見たこともない人間たちだった。

ああ、お弁当を食べ損ねたなぁとぼんやり考えながら男たちに連れられて行ったのは私の人生の道筋とは重なることのない建物だった。
真っ白な壁には窓が一つもない。ただ白いだけの箱に小さな扉があるだけ。
特に何もやらかした覚えもなければ、何かをやり遂げた記憶もない。
私をここに連れてきた人間たちが話している会話を聞いていると、何か大変な事が起こっていることが分かった。英検2級、取っておいてよかった。

そうか、私がここに連れてこられた理由は『替えがきく』からなのだろう。

建物の中の中の長い通路を、角を何度も曲がりながら通り、おそらく地下へと続くエレベーターに乗せられた。耳がツンとするくらい深く深く、下がっていくエレベーター。何度も唾を飲み込みながらそれに耐える。1分、2分。いや、10分以上は下がっている気がする。
自分の時間間隔がおかしくなるくらいの静寂と気圧の変化。頭痛がし始めた時、やっとエレベーターが停まり、目の前には暗闇の空間が広がった。
足を踏み出すと草を踏みつける感覚を感じ、下を見る。建物内にいたはずがいつの間に外に出たのだろう。
踏んだ足下の植物が黄色く発光していた。別の場所を踏む度にその場所が発光し、足を上げるとその光がゆっくり消えていく。面白い光景だった。
何度も足元を見て立ち止まる私に研究所の人間が背中を急き立てた。
「ああ、すみません」
ついつい誤ってしまう私の悪い癖だ。
暗闇の中、彼らの照らす懐中電灯だけを頼りに進むと、薄らぼんやり視界の先に大きな木が見えてきた。
とてもとても大きな木。そう、家電メーカーのCMに出てくるような大きな気を4倍くらい大きくしたような木がそこにあった。
木の根元には私と同じように連れてこられたのだろう、人間が3人。
「ニーハオ」
その中で一番若く、おそらく20代と思われる男性が私に声をかけてきた。肩甲骨まで伸びた髪をひとまとめにしたオールバックのすかした男。それが彼の第一印象だった。
ニーハオと声をかけたという事は、彼は中国人なのだろうか。なかなか返事を返さない私に彼は少し困ったような顔をした後
「ハロー」
と発してきた。
「あ、ハロー」
ハワユ―、まで続けるべきだっただろうか。思わず返した言葉に彼は笑顔を見せてくれた。

陽光(25)の旅立ち

俺の名前は李陽光。
西安の郊外で生まれ、現在は華やかなカジノ街でマジシャンを生業としている。人気者商売で華やかな生活を送っている反面、上の世代からの嫌がらせがひどい。
目立つ若手は潰しておく。わからなくもないが、俺だって簡単につぶされるわけにはいかない。
この世界。10年後、20年後の自分がわからないのだ。一生分稼ぎを今しておかなくては。今日のショーを終えたら、次は明日の19時からショーに備える。毎日仕事があるこの生活がたまらなく嬉しかった。

俺は必要とされている。

それなのに。
突然変な建物に連れてこられた。良く分からない言葉をしゃべる連中らに拉致され、乗り物に載せられて、地下深くにいる。
足元に生える草は俺の足に触れる度、マゼンダの光を放っている。
ゆっくり足を離すと光はゆっくり消えるが、再び足を地面に降ろすと光りだす。これはショーの演出としても面白いかもしれない。
しばらく歩くと、目の前には大きな木が現れた。幹が馬鹿みたいに太い。地面に這った根の一つ一つも存在感があり、どこまでも伸びていっている気がした。
俺の隣には中年のおばさんが立っていた。癖のある銀色の髪と灰色かかった茶色の瞳。ヨーロッパ系か。
彼女は俺を見て話しかけようとして開けた口を、すぐに閉じた。人種が違う。きっと言葉がわからない。そう思ったんだろう。
俺は仕事で覚えた英語を使い、彼女に話しかけた。
「不思議な場所ですね」と。
彼女は安堵した表情を見せた後、彼女の言語が持つ特有の訛り英語で
「そうね。いったいどんな場所かしらね」と返事を返した。

マルタ(50)の旅立ち


あたしの名前はマルタ。農場を経営するヨハンを手伝う傍ら、料理人として腕を揮っている。
その日の晩も、営業を終えた店の片付けと明日の仕込みを始め、アルバイトの子達にねぎらいの言葉と感謝の言葉を伝えていた。
長年使ってきたテーブルに手をつき、丸太の長椅子にどっかりと座る。
あたしの様なお尻の大きなおばちゃんでもびくともしない立派な椅子は、多くの人の手に触れ、その体重を支えて艶を増してきている。
まだまだこれからも多くの客を迎えるだろう。そう思うと穏やかな気持ちになれた。私も全力で出迎えよう。おいしいと言ってもらえる料理をたんまりと作って、提供して笑顔になってもらいたい。
「マルタ、ちょっと来てくれ!」
「はいよ!何だい?」
ヨハンに呼ばれて私は重い腰をよっこいしょと上げる。カウンターの向こうに見える磨かれたナイフたちに今日一日の感謝を込めてウインクをする。
「おおーい」
「はいはい!」
裏手のドアを開けるとヨハンが誰かと話していた。
「おや、お客さんかい?」
「ああ、マルタ。お前の才能を借りたいという人たちが来ているんだが…」
「ヨハンじゃなくて、あたしなのかい?」

そこにいた客は、男性3名と女性2名。
とにかくあたしの力が必要だと良い、ヨハンを無理やり説得させると牧場の端に停めてあった車にあたしを押し込んだ。
そこから先は誰もあたしに話しかけることもなく、あたしから話しかけても誰も返事をしなかったから無言のまま移動するだけだった。
車に乗せられ、飛行機に乗せられ、大型の車に乗せられ、気が付いたら変な建物。箱のような真っ白な建物の中では牛が4頭は乗りそうな大型なエレベーターに載せられた。
そして到着した場所に広がるのは真っ暗な草原と遠くに見える大きな木。牧場の真ん中にあったら良いシンボルマークになるだろうねぇ。
足を踏み出すとサクという音がして足元が青く光った。キラキラと輝くそれはとてもきれいで、あたしは思わずスキップをしそうになる。
そんな私を、女性が制止する。肩に手を置き首を左右に振る。わかってるさ、勝手に走り出したりなんかしないよ。
100mくらい歩いてからたどり着いた大きな木には深い「うろ」が見えた。何か大きな口のような、いや、入口なんだろう。
その先にも当たり前のように草が生い茂っていた。どこまで続いているかはわからない。
ぼんやりと見ているうちに隣に人が立っていた。
黒く長い髪を一纏めにした青年。顔立ちからして多分、あたしの言葉はわからないだろうな。なんて話しかけたらいいんだろう。
そう思っていたら青年が話しかけてきた。
「不思議な場所ですね」
あたしを気遣っているのがとても分かるゆっくりとした英語。若干中国系の訛りがうかがえた。
「そうさね、一体どんな場所かねぇ」
接客業でそれなりには話せる英語であたしも返した。
口の端を持ち上げてニッと笑った。少年がほんの少しだけ成長した、青臭い青年。息子と年齢の変わらない彼もまた呼ばれた一人なんだろう。

イゴール(53歳)の旅立ち


金の斧、銀の斧という童話を読んだのはいつだっただろうか。去年死んだ母親が小さな頃に寝る前に読んでくれたのを今でも覚えている。
「イゴール、いつでも正直者でいるんだよ」
母親はずっと同じ言葉を俺に言い続けてきた。
それを覚えているから俺はずっとここにいる。かれこれ3時間は経っただろうか。森に入って伐採をはじめ、泉の傍だけに気を付けながら作業をしていたが、悪い予感というのは当たるものだ。
年輪の目の幅の広い場所を打ち付けてしまい、木に食い込んでしまったままの斧を両手で引き揚げた途端、俺の斧は宙を飛んだんだ。
月の周りにぼんやりと靄がかかる淡く、明るい夜だった。
これで終わりにするつもりだったから疲れも溜まっていたのかもしれない。くるくると宙を舞った斧は右斜め上から真後ろに弧を描きながら

どぷん

と音を立てて泉に落ちた。
しかし、待てども待てども女神が出てこない。正直に答えるから俺の斧だけでも返してくれないだろうか。夜も更けて来たしこの寒さの中さすがに泉に飛び込むのは嫌だ。明日まで待つか…。
こんな感じで時間だけが過ぎていった中、誰かが俺の肩を叩いた。やっと女神が、と思ったのもつかの間。そこにいたのは黒いスーツを着た男たちだった。
一瞬スパイかと疑ったが、そうではなかった。その証拠にスーツを着た男の一人がわざわざ泉の中に入り、じゃぶじゃぶと全身ずぶぬれになりながらも俺の斧を拾ってくれた。こんな事をする奴にわるいやつなんていないだろう。


とにかく、ついてきてほしいとだけ頼まれて、俺は男たちに案内されるがままに移動した。
俺よりも小柄な男たちだ。いざとなれば逃げるなり、返された斧で対峙するなり出来るだろう。
移動時間はおおよそ6時間ほどだった。
俺のいた場所とは違い、若干南下した湿った風が流れていた。マメだらけの手に馴染む斧の刃先が緑色に光っていた。足下で何かが光っていた。草が光っているのか。土が光っているのかはよくわからない。俺は研究者でも何でもない。深く考えるのはやめることにした。
大きな木が一つ。真っ暗な草原の中に立っていた。木こりの血が騒ぐほどの大きさに思わず唾を飲み込んだ。
「あなた??????ですか?」
頭一つ小さな眼鏡の男が別の言語で話しかけるが、よくわからない。『ユー』が相手の事を指すのだけはわかる。あと、語尾が上がっていたから多分何かを聞いているんだろう?
多分、
「ダー」
で、あってるはずだ。

俺を連れてきた男たちがその場にいたさっきの男・黒い長髪の男・太ったおばさん、そして俺を木の前に集めると何か説明をしだした。よくわからない言語だから聞いてもわからない。
上を見上げると木の葉が一枚も落ちてこないことに気が付いた。この木は生きているのだろうか。幹は安定しているが芽がなければ生気も感じない。他にも普通であれば絡みついているはずの蔦もない。
足元の雑草だって、なんでこんなに光ってるんだ?
疑問しか沸いてこなかった。
「お前は聞いているのか?」
俺をここまで案内してきた男の一人がやっと口を開いた。泉に入って斧を取り上げてくれた奴だ。
「あぁ、聞いてねぇ。というか何を言っているかわからねぇんだ」
「お前が使える言語は?」
「この言語だけだ」
「そうか」
もともと人と話すのが苦手なんだ。言葉は必要ない。
「とりあえず、あの3人について行き、お前が必要とされる場所でその力を発揮してきてくれ。この先は、我々も分かっていない。4人の力だけが頼りだ」
「ダー」
同意を伝え、3人を見る。
ぎくしゃくした感じだがしょうがない。俺も打ち解ける気がしないからな。一つため息をついてから、俺は3人の横に立った。同時に歩き始めると足元が白く輝き、木の内部までが光りだしたのだ。

足並みをそろえて

この道を辿って旅に出る。
それだけが今わかる一つの事。
この旅が世界を変える。そして、きっと彼らを変えていく。


冒険が元気のよい若者だけだと誰が言ったのだろうか。

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