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【随筆】【文学】空知川の岸辺の憂鬱(四)

 赤平という地名はアイヌ語の「アカ・ピラ=山稜の崖」に由来するが、「独歩苑」から眼下に広がる空知川を見下ろすと、まさにその通りという感じがする。川の両岸に鬱蒼と生い茂る木々からは、太古の原生林の息吹が、未だかすかに感じられ、川沿いのこの一帯だけは、もしかしたら国木田独歩が来た頃と(ということは原始の昔から)あまり変わっていないのではという気がしてくる。

独歩苑から見下ろす空知川

 「独歩苑」には、やはり大きな文学碑が建つ。1950年頃に、ここにまず、木碑を建てたのだが、すぐに忘れ去られてしまい、放置されたまま、わずか5、6年ですっかり朽ち果ててしまったという。その反省も込めて、1956年に立派な石碑を建立したというのだ(「赤平市史」)。忘却の彼方に沈む運命を危うく免れたということか。

 「空知川の岸辺」は、開拓期の北海道の、荒々しくも初々しい雰囲気を克明に伝えるが、その自然描写は今の北海道からは想像もつかない、ほとんどツルゲーネフのロシアの世界である。実際、その通りだったのだろう。

「原始時代そのまゝで幾千年人の足跡をとゞめざる大森林を穿つて列車は一直線に走るのである。灰色の霧の一団又一団、忽ち現はれ忽ち消え、或は命あるものの如く黙々として浮動して居る」

空知川の岸辺

 若かりし日にシベリア鉄道で旅した時の車窓の情景を思い出す。 

 独歩は、「独歩苑」から少し下流に行った辺りで掘立小屋を発見し、探していた道庁植民課の出張員二人と出会う。事情を理解した職員らとの交渉はスムーズに進み、土地選定手続きは首尾よく終わった。
 余談だが、最果ての北海道まで来て、会う人会う人が一戦場ジャーナリストに過ぎない自分のことを知っていることに、独歩自身が驚いている。戦争=新聞=国民国家の成立という三位一体の好個の例か。

 折しも、時雨が降り始める。何かに誘われるかのように、独歩はふらりと小屋を出て、一人で辺りを散策する。

「余は時雨の音の淋しさを知つて居る、然し未だ曾て、原始の大深林を忍びやかに過ぎゆく時雨ほど淋びしさを感じたことはない。これ実に自然の幽寂なる私語(さゝやき)である。深林の底に居て、此音を聞く者、何人か生物を冷笑する自然の無限の威力を感ぜざらん。怒濤、暴風、疾雷、閃雷は自然の虚喝である。彼の威力の最も人に迫るのは、彼の最も静かなる時である」

空知川の岸辺

 樹木が少しだけ疎らになっている所を見つけ、その「深林の底」といった場所で、朽ちて倒れた大木に腰掛ける。

「林が暗くなつたかと思ふと、高い枝の上を時雨がサラ/\と降つて来た。来たかと思ふと間もなく止んで森として林は静まりかへつた。余は暫くジツとして林の奥の暗くなつて居る処を見て居た。社会が何処にある、人間の誇り顔に伝唱する『歴史』が何処にある。此場所に於て、此時に於て、人はたゞ『生存』其者の、自然の一呼吸の中に托されてをることを感ずるばかりである。露国の詩人は曾て森林の中に坐して、死の影の我に迫まるを覚えたと言つたが、実にさうである。又た曰く『人類の最後の一人が此の地球上より消滅する時、木の葉の一片も其為にそよがざるなり』と」

空知川の岸辺

 圧倒的な沈黙をもってささやきかけ、自らを顕現する自然。今、ここで、その呼びかけに耳を傾け、「存在」に帰順する人間。露国の詩人=ツルゲーネフをそのまま引用しつつ描写しているが、言わんとすることは後期ハイデッガーの存在哲学にも通ずるものがあるように思う。それは、おそらくは独歩以前の日本人が体験したことのない、北海道という大地の“発見”により初めて可能になった、全く新しい内的な体験であり、ケーレ(Kehre、転回)とか、そういう大仰な言葉でしか表現し得ない“何か”だったのだろう。

 旅の目的はひとまず達成したのだが、この後、紆余曲折があり、結局、北海道移住の夢は破れる。来訪の7年後、1902年に発表されたこの作品は、この旅の後の実人生の蹉跌を含意しつつ、やや苦い想いをもって閉じられている。

「余は遂に再び北海道の地を踏まないで今日に到つた。たとひ一家の事情は余の開墾の目的を中止せしめたにせよ、余は今も尚ほ空知川の沿岸を思ふと、あの冷厳なる自然が、余を引つけるやうに感ずるのである。何故だらう」

空知川の岸辺

 この辺りはアイヌの人々の豊かな狩場で、歌志内で獲れた獣と、空知川で捕れた魚が、盛んに流通したという。少し上流には、川を見下ろす絶好のロケーションに、小さな神社が建っている。実際には明治期の、ちょうど独歩来訪の頃に建立されたものらしいが、もともとは続縄文時代あたりの遺跡があった場所に違いないなどと、独歩の憂愁とはおよそ無縁な空想にひたり、初夏の風を受けながら、「空地川の岸辺」を後にした。

空知川の岸辺

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