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明日世界が終わってもいいや
って思うことがある。ものすごく病んでるって訳でもないけど。それを病んでるって世間では定義するのかもしれないけど、これ以上楽しくなる未来が描けないからかもしれない。今の楽しさがずっと続くと保証できるわけではないのなら、今終わってしまってもいいな、とぼんやり思うことがある。
大学生が社会人になって今よりハッピーになるとはとても思えないし、ハッピーになれる可能性のある大手企業にこの私が入れる可能性なんて微レ存だ。そういう未来が薄々分かっているから時々勝手に終わってくれないかなと思うのだと思う。こういうことを言うと、大人は「何があるかわからない。大人になるのは楽しい」と言ってくれるけど、捻くれものだから生存バイアスかもしれないし、自分を正当化したいだけかもしれないし、と素直に聞くことができない。
人間関係だって恒久じゃないから、終わったら悲しいから、楽しい今のままで凝固してしまえばこれから悲しむ必要も、未来を考える必要もない。ある未来を選択するということは別の選択を捨てるということでもある。選ぶべきだったかもしれない過去を後悔するのは辛い。ずっと未来をまっすぐ見つめていられる人間でもないし、過去を全肯定するほどの強さもないから、明日が終わってしまってもいいのに、と思う。
明日世界が終わってしまえば、先のことは考えなくて良い。「将来何したいの?」という質問に答える必要もないし、この先どうなるのかなと不安になることもない。しんでしまえば感情という重荷からは解放されて、自分の感情に疲れることもなくなる。なんて思ったりするのだ。
この世界はたしかに素晴らしいもので溢れていたりもするけど、「もういいかな」と肩の荷を下ろしたくなる、そんな感じだ。悲観ではなく。
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