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「この気持ちもいつか忘れる」を読んで

主人公は私と少し似ていて冷めきっていて「つまらない」が口癖だった。多分世の中にはそういう人がたくさんいて、だから書くんだろうなと思った。何がつまらないと思ったんだろう。住野よるの本は基本的に好きなのに。くてくては最初つまらないと思っていたけど、それは私の読み込みが足りなかっただけで、今読むととても面白いし、きみすいはセリフや表現を引用しまくるくらい好きだ。よるのばけものもハンネにするくらい好きだし、かくしごとは例外だったけど、また夢もかなり好きだ。人生には波があって1度"突風"つまり人生のピークがすぎると後は凪いでいく、そこには共感した。では何に失望したんだろう。別にオチはいつも通り、住野よるという感じな気はしたはずなのに。住野よるは基本的に劇的な話は無く、普通の日常の話を書く感じだ。と思っている。私は最後に異世界の人物と主人公が再会できるとでも思っていたのだろうか。そんな陳腐なドラマ的展開を期待したのだろうか。そうなのかもしれない。私はさなえに対する冷たい態度に「やはり男の人というのはセックスをするためだけに女と付き合うんだな」と裏切りめいた感情を抱いたにしても、サイコパスじみた無感動な主人公の雰囲気の方が好きだったのかもしれない。最後の和気あいあいとしたシーンに不満を覚えたということは。何か劇的な、日常からかけ離れた刺激を求めていたのかもしれない、あの冒頭の主人公のように。私も諦めきったと思っていた。中学受験というピークはすぎ、あとはやり過ごすだけだから、もう心残りはなにもないから、全部どうでもいいから、そう思っていると思っていたけど少し違っていたのかもしれない。冒頭の、今の私のような気の抜けきった炭酸のような人間を否定するような主人公の姿勢に「まだ、"変えよう"とする若さがあるんだな」と半分微笑ましげに半分懐かしく眺めているつもりだったのに。まだそちら側だったのか。捨てきれていなかった幼さを無意識に突き出された気がして、居心地が悪かった。心の奥では割り切れていないのかもしれない、だから冒頭の何かを変えようとする主人公が、その姿勢をとるだけで今の私みたいな人間を否定してくるように見えたのかもしれない。同族嫌悪だったのかもしれない。

最後のオチが私には気に入らなかった。それは"つまらなかった"からだ。普通の生活をし、普通に結婚をした主人公が、普通だったからだ。チカの生まれ変わりと会っても何も話せない。あの再会は大した意味は成さないのだ。あんなに会うことに固執してた主人公があっさり、いやあっさりではなかったかもしれないけど、それを諦めたのが許せなかったのかもしれない。おいおい今までのはなんだったんだよ、と。でもそれが主人公にとって正しかったのだろうと思う。過去に固執せずに日常にありがたみを感じる。置かれた場所で咲く。今まで幾度となく耳にしてきた耳に痛い助言を、意図せずに本でまた視界に入れてしまったことが煩わしいのかもしれない自分は。というか、置かれた場所で咲こうとはしてるんだけど、過去に固執することだけはやめられないのかもしれない。だから固執を捨てた人間に、少しの嫌悪を抱く。忘れる人間に。そういえばこのタイトルの意味するところを理解した時、この歌詞を思い出した。

空きっ腹に酒の「ミラーボールロマンス」の歌詞。とても、好きだ。この歌詞を思い出すと同時に、この歌詞を知る前に、学校が大嫌いで仕方がなく、毎日死ぬことばかり考えていた自分の言葉が、思い出された。「今こんなに苦しいのに、この苦しい自分も忘れられるなんて、今の自分が可哀想だよ」と大声で泣きながら言った覚えがある。親は困惑していた気がする。この本の、結末の意味を知る日は、納得する日は来るのだろうか。くてくてのように和解できる日が来ると嬉しい。

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