見出し画像

原作厨が君の膵臓をたべたいのアニメ版を初めて見た

昨日の金ローのきみすいアニメ版をやっと今朝になって消化した。消化って言うと淡白な言い方だけど、すごく楽しみにしていた。アニメ化したばかりの頃は私はきみすいを知らなかったから今回見るのが初めてだった。まあそんな話は私以外の人にとってはどうでもいい。

ぜんぶ見終わった今、思うのはやっぱり何度もこの物語をアニメや映画や繰り返し読み返した本を通して何回も体験済みなわけだけど、それでもやっぱり桜良の死には何回経っても慣れない。まるで友達の死について語ってるかのようで、感情移入しすぎなんじゃないかって我ながら思うけど、現実での人との関わりが希薄すぎて空想の世界を現実であるかのように感じてしまうから仕方ないね。ほんとうに、慣れない。今だってまるで身近な友達が死んでしまったかのように「ああ、桜良はもうこの世界にはいなんだな、いい奴ほど死ぬし、桜良が言ってた通り憎まれっ子世に憚るのかもしれない。」なんてくだらないことを思っている。本当はそもそも桜良はこの世界に最初っから存在してはいないのだけれども。

私と桜良と志賀春樹

あと、やっぱり自分は桜良であり、志賀春樹でもあるんだなぁと毎回実感する。桜良の友人の恭子ちゃんが「あの子は誰かがそばで見てあげないと、生きていけないの!あんたにそれができるの!?」ってキレてるシーンがあって(めちゃくちゃ好き。友達思いで男前でツンデレの恭子に友達になってもらいたすぎる)自分もそういうところあるからなぁと思った。あと、桜良が「私は人と関わらないと自分を実感できないの。だから自分を見つめて自分の魅力を自分で創り出してる君はすごいと思うの」って春樹くんに言うシーンがあるけど、とても共感する。私も一人では自分の価値を見つけていけない。志賀春樹が好きです!!!!でもかと言って志賀春樹に全く共感しない訳でもなく、「ぼくは現実の人間関係で周りが自分をどう思っているのか想像して自己完結するのが趣味なんだ」と言っていたけれど、少しわかる。私は趣味でそういうことをするわけではなく、勝手に想像してしまう、というのがより正確な表現な気がするけれど、周りが自分をどう思っているのかについて想像して自己完結してしまうことがとても多い。それに、その想像がたまに間違っていたりすることがあるから、損をしているなと思うことがある。間違った想像によって人に近づけなかったり、とかね。私が想像で自己完結するのは真実を知って自分が傷つくのが恐いからで、臆病だからだと思う。実は春樹君もそうなんじゃないかな。趣味とか言ってごまかしてたけど、臆病って桜良に言われていたし、「僕は現実より小説の世界の方が面白いと思っているからね」って言ってたのも本心でなくはないんだろうけど、多分少なからず現実の真実を知るのが恐いっていう臆病な心もあったんだろうじゃないか。そうやって春樹くんをこっち側にご都合解釈で引っ張り寄せたくなるけど、やっぱり彼は元々人間関係を何とも思ってなかった人なのかもしれないなぁ。志賀春樹ってたぶん住野よるだし、小説家ってやっぱり人と違う発想で生きてるのかもしれないし。と言っても私も昔は全く人と関わらず本の世界の中だけで生きてきたし。志賀春樹くんは臆病以前にそういう淡白で無機質な人間だったのかもしれない。

アニメ、実写、原作の比較

アニメの良かったところ。とても映像が綺麗だった。映像という表現が正しくない気がするけど、アニメ詳しくないから仕方ないや。正直見る前は風の噂に聞いてしまっていた「花火のシーンがあるらしい」という話に「は???原作に勝手に自己解釈つけんなよおら」と何様かもわからない偏見を抱いてしまっていたが、実際見てみたらとってもきれいで、原作では病院から抜け出したりはしなかったけれど、ひょっとしたらアニメ監督さんは病院を抜け出すロマンチックな別世界線を見たくてこれをあえて添加したのかもしれなくて、それだったらいいや、と綺麗な花火を見ながら思った。あと、sumikaの曲が合い過ぎてて泣いた。sumikaのファンファーレがオープニングで流れたとき、鳥肌立ったよ。きみすいアニメ版の存在を初めて知ったのも確かsumikaの曲を通じてだったし。アニメは実写より原作の再現性が高くて、とっても好きでした。「あーこのシーン見たかったんだよぉぉ!!!」って嬉し涙流してみてました、何をそんなに入れ込んでるんだよーって感じだけど。原作厨アピみたいな感じになってしまうんだけど、桜良のべたつき感が実写より少なかったとはいえ、原作よりサバサバ感が少し少なめだったのは実写の影響受けたのかな、とか思っちゃった。ここはもう一度原作を読み直して検証してみたい。まあ別に原作と違うのがすごくだめとかじゃなくて、なんとなく、作品ごとの形態差における移り変わりをこの目でしかと覚えておきたいだけ。そこまで深い意味はない。なんかマジシャンと福岡で帰りに遭遇するシーンとかはなかった気がする。でも、雨で元彼が殴ってきた後のシーンとかは雨の中ってこともあって幻想的かつセリフも良くてそこは原作に優っていたかもしれないと思った。アニメは桜良と春樹くんの何気ない軽口のやり取りが沢山凝縮されていて、とっても好きだった。そういうユーモアある会話とか、桜良の死にまつわるブラックジョークが好きで、原作を推してた面もあったので。実写はそれが少なかったし、原作よりも春樹くんがおどおどしてて頼りねぇなー、なんて思ってた。かと言ってアニメは意志が固すぎた気もしなくはないけどね笑。春樹くんは「ぼくは草船」キャラだから桜良に「メールアドレス交換しよ!?」なんて言われても断ったりなんかせずにたぶん流されて大人しく従ってたと思う。まあ別に些細なんで良いんですが!!あとスイパラのシーンで言うはずだったセリフを焼肉屋で言ってなかったっけ。スイパラで恭子ちゃんたまたま来たみたいな流れになってたけど、たしか原作では桜良があえて呼び寄せてたし、ハグしてるとこにうっかり恭子さんが入ってくるのは合ってるけど時系列的に言えばその日はハグしてなかったから恭子さんを敢えて呼び寄せてた気がする。あと原作で海は近くなかったやろwwwって思ったけど画的に綺麗だった。共病文庫を読んでるときに読んでるページの日付の回想シーンが巡るのはとても綺麗だった。それから恭子が短髪だったのはとっても好き。アニメのキャラの描き方は春樹くんもそうだけど原作読んでる人のイメージととても近くて良かった。実写版の春樹くんは悪いけど、春樹くんは影が薄くないとイメージと違うので顔濃いイケメンでは頂けなかったなー北村匠海くんには悪いけどほんと。配役さんが悪いんじゃなくてキャスティングが()まあキャスティングも大人の事情的なのがあるんだろうけどね。たぶん浜辺美波さんとセットで売り出す一環としてヒロインとヒーローのペアのストーリー枠にきみすいはあてがわれた感じかなー。まあお二人に罪はないですが。アニメは原作では私が鈍すぎて気づけなかった桜良と春樹っていう、春を待つ桜っていうネーミングの素敵な由来もわかりやすく解説してくれて助かりましたー。逆に実写では星の王子さまの一文を紹介してくれたことで、星の王子さまがなぜ頻出だったのか分かることができて助かったな。あとそういえば遺書のページ読んでるときに妄想世界みたいな映像になったのはおもろかった笑。あそこらへん若干話が複雑だから飽きさせないために綺麗な映像流したのかな。そういえば「なぜ春樹くんが君呼びするのか」問題について最後に解明してたのは良いんだけどそのシーン見たとき「ゴムパッチンで起こすシーンなくね!?!?」とどうでもいいことに焦ってしまった。まあどうでもいいか。あとそのとき遺書で「正解だったらお供え物でもしといて」って書いてあった風なのあったけどちゃんと梅酒にしてほしかった()食べ物と言えばコンソメとうすしお派で方向性合わないねーでごちゃごちゃ言うシーンはなかったけど卓上のポテチがコンソメかどうか目を凝らすのはとても楽しかった。あと卓上の他のスナックが福岡の雰囲気醸し出してて好きだった。旅行感。それから春樹くんの蔵書のタイトル見分けとかもね。テキトーに見流した限りでは夏目漱石こころとか音楽の国?みたいなタイトルの本しか読み取れなかったけど、きっともっと知ってる本いっぱい描かれてる。巻き戻して目を凝らすのが楽しみ。あとまた何か思い出したら後述する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?