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以下を読んで


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まさにこれだ、と思った。私が6年間で感じた虚しさはこれである。レールに乗っていればいるほど、上手くいく。私はそれに気づかずに卒業を迎えてしまった訳だが、私よりはレールに乗っている方がマシだと思う。

私は入学時面談で成績優秀を仄めかされる程度には優秀だったことにかまけて、自分が優秀だと勘違いしていた。その実は、「中学受験は親が9割」と言われるように、優れた受験プランとスケジューリング力を持った親に従っていたにすぎなかったけど。ともかく、自分自身に力があると勘違いした私は先生方や親に言われることを全く信用しなかった。納得するものがあれば耳を傾けたが、大概の指示からは目を背けた。先ほど過信ゆえの指示無視と述べたが、正確には親からの「自分で考えて、自分でやりなさい」という指示に従う意味もあった。当時の私はなんでも親に聞きすぎるきらいがあったらしく、しょっちゅう親に確認を取らないと気が済まなかった。私は確認のつもりで質問をしても、親には「何も考えてない子」と映るらしく、歯痒かった。HSP特有の頭がごちゃごちゃするくらい考えてしまう、騒音のように四六時中自分が脳内で喋り続けているかのような現象が起きるくらい、日々色んなことを考えていたのに。まあでも当時の私は、そういう症状が普通ではないと気づいてなかったし、なんらかの症状であることを確かめる術もなかった。スマホ持たされてなかったので。

それから今もうひとつの人の話を聞かなかった理由を思い出したが、思っていたより大変だった学校に入ってしまった後悔を、「周りの意見を聞いて、言われた通りにばかりしていたから、こんな学校に入ってしまった」という理論にあてつけ、人の話を聞かない方針を固めた気もする。人の話を聞かなければ上手くいくと思ったのだ。実際はただの事実誤認で、たしかに私は勉強のやり方については意見を聞いてばかり(それはそれで良いことだったが)だったけど、志望校選択については親の勧めを全て無視していたらしい。たしかに言われてみればそうだったと、最近親に訂正されて気づいた。だからこそ今回の受験では他人の意見に耳を傾けられた、はず。

まあ以上の理由たちの結果、人に質問をするのは良くないという歪んだ結論を生んでしまった。それからの私は人に質問もしないし、頼ってはいけないし、人の言うことなんてアテにならないという非論理的な思考回路のもと、様々なアドバイスを無視し続け、入学時の実力未満の大学のみを受験した。

レールに乗った人々は、弱い。しかし、レールに乗れば、分かることもあったはずだ。法則をレールから見出せていたかもしれない。しかし、自分はそれさえもしなかった。私は6年間で何を得たのだろう。

こういうことばかりを最近考える。

たしかにレールに乗る人たちは、自分で考える力がない。しかしそれでも、結果は得ている。相応の、結果を得ている。しばらくは、そのレールに乗ることしかできない弱さも、結果で覆い隠せる。それにきっと、レールに乗ることで、成功の法則を見出せた人もいたはずだ。一方で私はと言うと、実力もなく、唯一の長所であった「人に言われた通りにする」こともせず、弊校的には大した大学には受からなかった。学歴も、力も、無い。もちろん絶望はしないが、というか絶望する暇など無いが、時々なにかの拍子に思い出しては、自分の6年間はなんだったんだろうと思い返してしまう。

だからこそ、住野よるの「青くて痛くて脆い」の以下の文が何度でも響くのだ。

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