毒親あるある

昨日は嬉しいことがあった。国境を越えて毒親持ちの友達ができたのだ。日本ですら毒親だと言っても通じなかったり何を大げさに騒いでるんだと揶揄されたりするのに、国境を越えて共感できるなんて面白いなと思いつつも皮肉だなと思ったりもした。

共感できて面白いなと思ったのが、「毒親育ちはやはり結婚するのがこわいよね」ということだった。「私たちがあまりにも結婚に慎重なのは絶対親たちの結婚が影響してる笑笑」と2人で大笑いした。間違いない。毒親の元で育っていると、健全な親の元で育ったまともな人たちの健全な結婚観が少し危なっかしいというか向こう見ずに見えてくる。なぜそんなにも考えずに結婚を決められるのか、なぜ「気持ち」だけで結婚を決められるのか。もちろん健全な親の元で育ち慎重に結婚する人もいるのだが、私たちからすると熟慮が足りないように見える人が多い。なぜ清水の舞台から飛び降りることができちゃうのだろうと思ってしまう。私たちからしたら清水の舞台どころか底なしの崖っぷちにしか見えないのだ。だが、彼らのそんな無邪気さ、結婚への楽観性が羨ましいことも多い。それだけ根拠もなしに信じられるのは彼らが幸せそうな親を見て育ったからに違いないからだ。

たまに「毒親持ちだったからと言って何を恐れる?君と親は別の人間じゃないか」と諭して「くださる」方もいるのだが、あれだけトラウマを抱えた人間としては素直にその言葉を受け入れ首肯するのは難しい。なぜなら目の前でまさにその説が崩れ落ちるのを何度も見てきたからだ。私の母は厳しい祖母の元で育てられた。彼女の神経質さや強迫症はそこで身についたと思う。なぜならその神経質さの理由を聞いてもたまに彼女自身さえも答えを持たないようで不安そうに分からないと答えるだけの時があるからである。例えばなぜ料理を手作りしなければならないのか外食した方が楽ではないかと聞いても分からないと言っていた。また彼女は酒が入ると何故か分からないが料理をいつもする。これらは恐らく両親が忙しく彼女が小学生時代から料理を任されておりそれが義務感として身についたからだ。毒親育ちにはこう言った目には見えにくい影響が糸を引いている。
父の例も見よう。彼は父より父の妹を贔屓する厳しい父親の元で育った。父は常日頃から彼の父のようにはなりたくないと言っていた。しかし最近どんどん昔の彼の父のようになってきていると母は嘆いている。結果を出さないと締め付け、周りが嫌がっても毎週そうじ、などなど……。私も辟易とすることがある。
こういった経験を通して私が思ったのは結局我々は親のようになってしまうし、毒親の再生産は辞められないということだ。もちろんサンプル数は少ない。でも例えサンプル数1だったとしてもそのサンプルが大きな影響を与えてしまうことがあるのだ。同じように毒親を経験してきた人がみな口を揃えて結婚も子育てもしたくないと言うのは決して無根拠な訳では無いだろう。それぞれが見てきた地獄を元に半ば防衛本能レベルで結婚や子育て、家庭にまつわるあらゆる要素を忌避してるのだと思う。
私は反出生主義を主張している人々というのはこういった経緯があって主張しているのだと思う。もちろん子供を産むなと理由も説明せずに周囲に強制せんとするのは褒められたことでは無いが彼らなりに理由があってやっていることなのだろう。子供というのは産まれたら返品なぞできないし産むということはそれなりにヘビーな人生を与えるということと同義でもある。だから彼らは慎重になれと諭しているのだろう。彼らは彼らで産まれてくる子供たちの将来を真剣に考え思いやっているのだ。これ以上自分たちと同じように人生や親に苦しめられる子供たちが増えませんようにと心から祈りながら。
毒親の影響は結婚観に留まらない。面白いことに昨日友人になった毒親育ちも親がアル中で暴れていた期間はあまり勉強に集中できなかったという。また私の別の友人も受験中に親が暴れておりなかなか気は散るし心が落ち着かないし集中できなかったという。私もすごくよく分かる。共感してならない。実はこの現象にはきちんと根拠があり、既に研究結果がある。興味を持った人は以下の本を読んで見てほしい。

この本はとても論理的に説明されていて良かった。毒親育ちとしては腑に落ちるところが多すぎた。私が毒親から特に攻撃された高校時代には夜中にカラオケ、門限を守らない、学校の授業を脱走、授業をサボり、夜中に散歩、その他ここに書くことすらできないことまでやった。というかそうやって自分を解放してないと夜に母が狼人間化する時間を耐えられなかった。なぜなら彼女が暴れてる間は自分の気配を消し、静かに縮こまっているしかないからだ。母は暴れてなくても家に帰るなり職場の愚痴をわたしにきいてもらうおうとするのでちっとも家で休めやしなかった。母から逃げようと夜ほっつき歩いてると二重ロックの物理鍵の方がしまっていて入れない時もあった(そのせいで外側から鍵を開ける方法という盗っ人みたいな不要な技身についた)父親も鈍感だったから全然助けてくれなかったし私が劣等生で成績が悪すぎたから自業自得と思っていたらしい(後日聞いた)そんな訳で一時はパパ活さえ始めそうだったが(パパ活とは知らなかった)Twitterのフォロワーの有志の皆さんにやめろと諭して頂いて(ありがたい)Twitterと私を音楽で救ってくれていたMP3プレーヤーには感謝しきれない。あれがなかったら私は人生を踏み外していたと思う。そしてそれ以来私は勉強を信用しなくなった。言い訳にしか聞こえないかもしれないが勉強は私を救ってくれなかった。本当に困っている時に救ってくれたのはインターネットと音楽だけだった。どれだけ勉強しても既に出遅れていたから結果だけ見られて怒られるだけだしもう勉強は嫌いになるだけだった。そもそも家に帰っても勉強に集中できない環境しかなかったし勉強はどれだけ頑張っても評価されないものとして私の中で印象が植えづけられた。

私は塾で生徒たちに教えているのだがたしかに問題児たちと言うのはだいたい親がおかしくなっていることが多い。極端に厳しかったり甘やかしすぎていたり。私自身も高校時代はひどい問題児でずっとイライラしていたから友達もできにくかったし、ずーっと反抗期みたいだった。よく退学にならなかったなと思うし当時迷惑をかけた先生方には申し訳ないなと思っている。だから塾で教えていて問題児が多少腹の立つことをやっていてもストレス発散でやってるんだな、仕方ないかのノリで溜飲を下げている。彼らは実際可哀想な奴なのだ。
まあこうして毒親をこき下ろしてきた訳だが大の大人になってもずっと毒親のせいにしていると腐ると思う。私が今回これを書いたのは考えを整理するため、こういうメカニズムがあるんだと伝えたかったため、だけに過ぎない。確かに彼らは私たちの人生に寄与したがそれを責めたところで何も改善はしない。もちろん今毒親からの攻撃の真っ只中にいる人達は責めていいと思う。親に見えないところで(彼らに直接言っても暴動が悪化するだけなので)。でも私たちはただ受け入れ、自分で前に進むしかない。他の人のせいばかりにしていると本当の無能になってしまうからだ。

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