嘘をつく事に抵抗がなくなってしまった


僕には自覚なく嘘をついていることがある。

例えば最寄りの駅を尋ねられたとき、その問いに対して僕は、本当の最寄り駅の数駅先の知名度のある駅を自分の最寄り駅として答える。だって、本当の最寄り駅を答えた後に必ず来る「えっ、それどこ?」の質問が面倒くさいから。それに対しての「○○駅から数駅のところにあって、芸能人の○○も同じ最寄駅なんだ~」というお決まりのフレーズにも飽きてきちゃったしね。僕はもう、こういった細かい嘘をつくのに慣れてしまって、誰にどんな嘘をついたのかさえ思い出せない。だって面倒くさい真実よりも、分かりやすい虚構のほうが楽ちんでしょ?

女の子と遊びに行く時だって、親には男友達と遊んでくるように嘘をつく。だから同じ人と月に5回くらい遊んでいることになってるの。「また○○と遊びに行くの?仲いいわねぇ~」なんて呑気な母親で助かったよ。小学生のころ、バレンタインチョコを持って帰ってきただけで家族全員大騒ぎになったの覚えてるから、こんな年頃の息子が女子とデート、ましては朝帰りでもしたら赤飯でも炊かれて胴上げでもされるんじゃないだろうか。僕は、起きた出来事に対して、僕が思ってるよりも事を大きくされたくないの。だから相手にあまり興味を持たせないように、体のいい虚構を見繕って話してあげるの。これって自然なことでしょ?

高校生の時、学内の成績が悪かったんだ。それでもごくまれにめちゃくちゃいい点取れたことだってあるの。そんな時でも、周りの「何点だった?」って質問には、実際の点数よりもずっと低い点数を教えてあげたの。だって、そいつらは馬鹿な僕を見て安心するためにそんな質問してきたんだから、それに応えてあげるのだって立派なコミュニケーションでしょ?僕はね、相手が求める"僕の像"に自分を当てはめることが出来るの。それが全くの嘘っぱちであってもね。


でも、最近、虚構ばかり人に話していて、僕の本当のことを知っている人は誰もいなくなっちゃった。これを読んでるあなたに僕の本当を知れって言ってるんじゃないよ。そんなのもともと期待してないし、そもそもこのnoteだって、今までも、そしてこれからも、事実を捻じ曲げてでも分かりやすい虚構を書くんだから。

でもね、noteに書いてることは事実なんだ。虚構なのに事実なの。「はっ?」って思ったでしょ?今から説明するね。

例えば、野球を生で観戦した日があったとするでしょ。その試合で応援してたチームが負けちゃったとする。他の日にテレビで野球を観て、その時は応援してるチームが勝ったとする。この一連の出来事をnoteに書くとしたら、僕は、「野球観戦に行ったら、応援してたチームが勝った」って書くの。これは嘘じゃないでしょ?「野球観戦に行った時、応援してたチームが勝った」って言ったらこれは嘘だけどね。

つまりね、僕がnoteにつく嘘は、事実に基づく嘘なの。勝手に相手が誤認してくれるように話すの。「脚色を加える」って言ったらいいのかな

僕はね、「面倒臭い。」ただそれだけの理由でこれまで幾度となく嘘をついて生きてきたの。それは、相手に理解してもらいやすかったり、僕が思う以上に事を大きくされたくなかったり、相手の期待に応えてあげたり様々だけど。
そんな面倒くさがりの僕が、わざわざ面倒臭い脚色を加えてまで読んでもらいたい話がこのnoteに詰まってるの。だからね、ちゃんと読んで欲しいし、読んだらTwitterでもいいからコメントも欲しいし、スキもされたい。この気持ちは本当だよ。

嘘ついたっていいでしょ? すっぴんのまま生きていられないじゃない。僕にもお化粧くらいさせてよね。






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