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青に、ふれる。

『青に、ふれる。』というマンガがある。
今年の次にくるマンガ大賞にノミネートされたので知っている方も多いのでは?

あらすじは以下。

生まれつき顔に太田母斑(おおたぼはん)と呼ばれる青いアザを持つ女子高生・青山瑠璃子。アザのことを気にしすぎないよう、周りにも気を使われないよう生きてきた。 新たな担任教師の神田と出会った瑠璃子だが、ある日神田の手帳を目にしてしまう。クラスメイトの手帳がびっしりと書き込まれているのに、自分だけ空欄なことに気づいた瑠璃子は神田を問い詰めに行く。しかし、神田は“相貌失認(そうぼうしつにん)”という人の顔を判別できない症状を患っており――。 

引用:ニコニコ静画



以下ネタバレ込み(ほとんどないに等しい)注意

瑠璃子の太田母斑は相貌失認を持つ神田にとって、他人を区別するのに非常に有効なアイテムで、それにより初めて瑠璃子は自分の顔にある太田母斑に対して肯定的に(少し語弊があるかもしれない)とらえられるようになる。

クリスマス定番の「赤鼻のトナカイ」の歌を思い出してくれれば分かりやすい。

ライトに受け取れば、周りに馴染むことに全力を注いで自分を好きになれなかった女の子が、ある一人の男性に出会って自分を認めてもらえるようになるというお話。
軽い見方をしたら『君に届け』に近いものがあるかもしれない。
(二つも例え出してしまって申し訳ない。)
『君に届け』も、貞子が風早君に認めてもらえるお話だから。

『君に届け』と決定的に違うのは、主人公の自己肯定の獲得方法だ。
『君に届け』の貞子の根暗な部分は、瑠璃子の太田母斑。
風早君の無償の優しさは、神田の相貌失認。

『君に届け』では "他人の優しさ" によって自己肯定を獲得していたのに、『青に、ふれる。』では "障害" によって自己肯定を獲得している。

これはかなり絶望的である。

『君に届け』が出版された2006年では、 "優しさ" による救いの存在が信じられていたのに、2020現在もはやそれは叶わないものであるということだ。
底抜けの優しさなんて誰も持ち合わせていないということが、世間に浸透しているのだ。

しかし、『君に届け』に描かれず、『青に、ふれる』で描かれているものがある。
それは ”強者の悩み" だ。

『君に届け』ではほとんど風早くんの内面にふれることはなかった気がする。(小学生の時に読んで以来なので間違っていたらすみません。確認次第加筆修正します。)
しかし『青に、ふれる。』(14話)では、がっつり ”強者の悩み" が描かれている。神田と同僚の美人教師の白河さんの悩みにフォーカスし、美人であるが故の気苦労を描いている。

貧乏だとか、母子家庭だとか、障害だとか、酷く粗暴な言い方をさせてもらうと社会的弱者の悩みのほうが切実に取られがちな世の中。もちろんそれはそれで尊重すべきだし癒されるべきだとは思うけど、「おまえイケメンじゃん、何悩んでんねん」みたいに言われて無視されがちな悩みだってある。
そういった悩みが2020年にはオープンになった。

可愛いけど顔に太田母斑のある瑠璃子。
イケメンだけど相貌失認の神田。
ただ美人な白河。

それぞれの環境は違くて、それぞれの抱える悩みも違う。
その悩み一つ一つに『青に、ふれる。』はフォーカスしてくれた。


多様性が叫ばれる中、多様性を理解している人はどれくらいだろう。
ただ自分を認めさせたいがために "多様性" という言葉を使っている人はどのくらいだろう。
"多様性" は他人を理解するためのワードであるとどれだけの人が分かっているのか。

世間に理解されない悩みを持つ人はたくさんいる。それを知っていてかつ理解してくれる人は少ない。
『青に、ふれる。』の作者の鈴木望先生は多様性一つ一つを理解してくれる数少ない人だと思う。

2020年、次にくるマンガはこれだと思う。
これであってほしい。
多くの人に届いて救われてほしい。



追記

『君に届け』を比較に出しましたが、決して下げてはいないはずです。『君に届け』の連載当時、小学生だった僕はクラスの女の子と『君に届け』を回し読みしました。風早君のことをめちゃくちゃ好きになって、当時同級生とやっていた交換日記の「なりたい人」の欄に「風早くん」と書いた記憶があります。最高にキュンキュンするマンガです。そちらも是非読んでほしいです。

『青に、ふれる。』に関連して書きたいことがもう一つあったのでまた記事として出させていただきます。

『青に、ふれる。』についてはこちらから。


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