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選択肢は無いほうがいい


先週のヨブンのことで朝井リョウさんが、「コンビニで千円使うなら」という質問をアイドルにしたいという話をされていた。
コンビニでどうお金を使うかにその人が出るとおっしゃっていて「確かに!」と思った。

ではもし自分がコンビニで千円使うとしたら。
僕はぷっちょだけ買って残りを募金箱に突っ込むだろう。

これ、側から見たら多分いい人に見えると思う。
でも実際は違う。めんどくさくて募金箱に入れてるだけ。

飲み物を買うにしたって、
炭酸が飲みたいけど、炭酸抜けたらと考えると買うのは渋るし、かといってお茶とかわざわざコンビニで買わなくてもいいなぁとか思う。
これといってお菓子とか要らないし、とりあえずぷっちょだけ。
nanacoにチャージという手もあるけど、たった千円だと恥ずかしくて渋る。そもそも問いの趣旨と違う気もする。


選択肢が沢山あってどれもそこまで魅力的でないとき、僕は人に見られて一番「いい人」と思われる選択をする偽善者だ。
人に良く思われようとするしょーもない根性なのだ。


僕は親に「選択できる人生を生きなさい」と言われて育った。

勉強がすれば良い大学に入れる。良い大学に入れば就職先を選べる。良い会社に勤めれば、転職先だって選べる。

当時母親の操り人形だった僕はその通りだと思ったし、勉強も好きだったから勉強して良い中学校に入った。
高校一年の時。そろそろ自分の進学を考えなきゃいけない時期、自分には選択肢が沢山あった。

就職、進学だけじゃない。進学先、学部、学科。
幸せな事に、志して勉強すればどこにだった行ける家庭環境だった。
実際現役の時は全て不合格だったのだが。

そこで僕は一番体裁のいい医学部を選んだ。
もちろん、人並みには人を助けたいとかそういった道徳はある。でもそんなものは他の医学部生の人のと比べればチンケなもので、医師への意識が薄い。
特にやりたい事も無かったし、自分や周りの人が病気したことがあって、このタイミングで医師を目指すのは理屈が通っているし、体裁が良かったのだ。


選択肢が沢山ある状況になれるよう勉強してきたのに、選択肢が沢山ある状態に悩まされた。
沢山選択肢があるというのは厄介である。

Amazonプライムなどサブスクに入ったって、何を観たらいいのか分からない。
どれ観ようかななんて考えてるうちにあれよあれよと一ヶ月が経つ。

大量生産大量消費の世界の中で、僕たちは沢山の選択肢に囲まれている。
その中から一つに選ぼうなんて難しい。

今医学部にいて、大量の授業に大量の課題。常にやるべき事が溜まっている。
何も選択しなくていい。
とにかく楽だ。

操り人形の幸せを感じている。


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