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自意識過剰の大暴走 #0


「自意識過剰」「気にしすぎ」という人に対して最近はよくフォーカスされていて、僕個人もその類の人なので幾分か楽になったのですが、まだまだ足らないなぁなんて思うことがあります。

何が足らないのかってのは自分でも分からないです。
ありきたりなことを言うと自分自身が足りないんだと思います。

もう少し強く自分に自信を持てたら、Twitterに誰かの批判ツイートでも書いてストレスを発散させられたんでしょうけど、自分自身が批判される側だということを痛い程知ってるし、何より他の人を否定してまで押し通すほどの自我を持ち併せていない。

その足りなさ故に少しでも他の人に迷惑をかけないように、どうでも良いところで気を使ってしまうのです。


例えばトイレで。

コンビニのトイレでうんちし終わった後、便座の蓋を閉じる時にも自意識過剰は発動するのです。


「便座の蓋の上の方を持って閉めれば力を入れることなく楽に蓋が閉めれるのだろうけど、次の人はそこを持って蓋を開けるんだろうから、排泄し終わってすぐの汚い手でそこを触ってはいけない。だから自分は蓋の下の方を持って力を使って蓋を閉めなければならない。しかし、自分と同じことを考えている人がいたとした場合、その人は蓋を開ける時に自分の手が汚れないよう下の方を持って蓋を開けるかもしれない。そしたら今僕がわざわざ下の方を持って蓋を閉じようとしていることは無意味になるな。では間を取って蓋の真ん中くらいを持って閉めたらどうだろうか?いや、蓋の真ん中部分は1番背中とぶつかる部分だから、そこを僕が汚い手で触れてしまってはいけない。となると自分が今触れていい場所はこの蓋にはない。肘とかで蓋を閉じようとすると、勢いよく閉まってしまい便座が壊れるかもしれない。もし壊れた時は自分は何万円払わないといけないのだろう。いっそのこと逃げてしまえば…。いや、防犯カメラがあるし無理だろ。なんならその壊れた衝撃が近くのガソリンスタンドにつたわって大爆発でも起こすかもしれない。とりあえず静かに蓋は閉めないといけないのだが困った、僕はどこを持てばいいのか………」



こんな具合で自意識過剰の暴走は止まらないのだ。


この気持ちは多分ほとんどの人に伝わらないし、伝わったところで「考え過ぎだよ」の一言で済まされることなんだと思う。
なんなら、今上に書いた僕の思考なんて飛ばし読みした人が大半だと思う。

それでも、誰か共感してくれる人がこの文の向こう側にいるのなら書きたい。
そして、何の生産性もない自意識過剰の大暴走を、何とかして生産性のあるものにしたい。


だからメモ書き程度のことだけど、今後自分が自意識過剰を暴走させた時にまた記事にしようと思う。
シャープいくつまでいくか分からないけど、飽きない限りは一生続けるつもり。というか、続いてしまうはず。収まらない禁断症状だもの。


「こいつ何考えてんの?」「こんな小さなこと気にして馬鹿だなぁー」でいいので今後も読んでみてください。

もし同じ症状の人は泣きながら読んでください。
僕も同じ症状の人がこの世にいるって知った時はボロボロに泣きましたし。
その人には若林正恭「社会人大学人見知り学部卒業見込み」、西加奈子「舞台」を、オススメしておきます。 


こんな僕も笑いものにしてくれる人、分かるなって思う人、また会いましょう。

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