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第17話 産後、ボロ布になった身体

聞いていた通り、出産で自分もボロ雑巾のようになった。『会陰マッサージオイルのお陰で、出産の傷も最小限で抑えられました!』 そんな口コミに釣られてオイルを買って使っていたが、吸引分娩により傷は酷く、縫合には1時間程かかった。

余談になるが、ノミちゃんも出てきて『終わった…』と、心底ホッとしていたら縫合が始まった。麻酔なしでチクチクと縫われる痛みは、不意打ちにも程が過ぎた。陣痛から始まって二重苦、三重苦と、一体何の罰ゲームなんだと思った。

全て終わって二日ぶりの病室へ戻った。終わった…というやり切った感と、あれは何だったんだろう…と、夢を見ていたかのような感覚であった。
夜勤でやってきた前日の担当助産師さんが自分ごとの様に喜んでくれた。分娩室から歩いて帰ってきた事を告げると、「え!」と心底驚いていた。その時は感じられなかったけれど、出血量が多く貧血だったらしい。それでも、グレさんや親友とビデオ通話ができたのは、出産で大量に出たアドレナリンの余韻によるものだったのだろう。
翌日からは入院前に取っておいた自己血を戻し、鉄剤を飲んで貧血へと挑んだ。それでもなかなかヘモグロビン値は上がらなかった。妊婦の血は通常とは違うらしかった。

傷がひどくておしっこに行くのもしんどかろうと、産後から数日は導尿をして過ごした。初めて導尿をしたが、尿意が感じられずとも尿が出てくるのはなんとも不思議であった。しかしこれ、楽に見えるかもしれないがQOLダダ下がりで、傷と管の違和感で座ったり立ったりがすごく痛くて煩わしい。

腕は点滴でボロボロに

そんな状態だったので、数日は寝たきり生活を送り、授乳時間の度にノミちゃんが病室へと連れてこられた。母はボロボロなのに対して、ノミちゃんは平和にすやすやと眠っていた。点滴や輸血中だったりすれば、「ミルクあげるの見といてください」と、ノミちゃんが看護師さんにミルクをもらうのをベッドの上から眺め、なんだか悲しくなったのを覚えている。

導尿がとれて動けるようになったが、出歩かないよう注意された。貧血により、少し歩くとゼェゼェと息切れし、胸がドキドキしてくるのであった。

そんな数日を過ごすうち、自分が頼りなくなった。

むくみでゾウの足に

痛みに関して最大の山は越えたものの、実際は産後も痛い痛いの連続で、傷が痛い、腰が痛い、肩が痛い、手首が痛い、おっぱいが痛いと、産前・産後の数ヶ月を痛い痛いと過ごしている自分に嫌気が刺したし気が病んだ。

円座も欠かせなかった。傷と痔のダブルパンチで座るのが辛かった。他の産婦さんも座る時に顔を歪める人が多かったし、同じ状態だったのだろう。退院も近づく頃、病室のベッドの上で円座をポチったのであった。

出産は全治2ヶ月の大事故に遭うのに相当すると聞いてはいたが、それは本当だった。それを聞いた時はビビリ上がったし、今から産むってのに大事故に遭いに行くのかと思うと怖かった。これから産む妊婦さんにもそんな気でいて欲しくない。

けれども、周りには知っておいて欲しいし、本人にもそのつもりで頑張りすぎないで欲しい。自分が欲しいサポートを受け取れれば最善だと思う(それがまた難しい)。
そんなに痛くても、大きな事故級の出来事だとしても、大体の場合で母親はそれに耐えることができて(ボロ布にはなるが)、それはすごい事なのだ。

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