『架空』<第2話>内心-Inside Gossip-
校庭に無造作に生えた雑草は、まるで地球で際限なく繁殖する我々人間のようだ。黙々とそれらをむしり取る清掃服に身を包んだ彼女らは、人間を粛清するウィルスに似ている。
「お前ら"内進"は勉強ばっかしてるから体力が足りねんだよなあ。
男子はもっと目も当てられないんだけどさ」
仁王立ちしたこの長身の中年男性は、温暖化真っ最中であることをアピールするかのようなこの炎天下でも、少しでも目の前のショートパンツ姿の女子高生達を眺めていたいかのように、こう吐き捨てていつも授業を終える。
「いちいち一言余計なんだよね」
更衣室へ向かう途中で漏れ聞こえる同級生の声には倦怠感と微弱な煩わしさが感じ取れるが、シノにはそんな事を漏らすことすらくだらなかった。
「内進」とは中高一貫校において、その中学校からストレートに高校へ進学する「内部進学生」の略称である。一方、受験を経て入学してくる生徒を昔は「外進」と呼んでいたらしいが、差別的であるという理由で今では死語らしい。
県内唯一の県立中高一貫校であるこの霧ヶ峰高等学校は、
その名を県内で口にすれば必ずと言っていいほど、
「すごいね、頭良いとこじゃん」
と返ってくるほどの知名度はあるが、学校自ら進学校を謳ってしまっているイタイ側面も持ち合わせている。そんな"進学校"には相応しくないような光景が見られるのは、体育の授業くらいだろう。
シノにとって「内進」は、差別用語でしかない。
水曜日は体育の授業で一日が締め括られる。
運動神経は悪い方ではないが、
あまり汗水を垂らすのが得意ではないシノは、それだけで憂鬱だった。
着替えを終えるといつもであれば図書室に直行するのだが、
その足は重々しく職員室へと向けられている。
「あのさあ、提出すればいいってもんじゃないんだよね」と、
担任のナカムラは苦笑いを浮かべる。
「じゃあ何が不満なんですか」
「不満...っていうか、ちゃんと考えて書いたのか?」
「はい」
慎重に言葉を選んでいるかのような眉の角度を作るナカムラだが、
実際はもう言いたいことははっきりしているのだろう。
「...まあ、あれだ。その、お前の夢や将来を否定するわけではないんだけど」
「お前って言われるの好きじゃありません」
ナカムラの無駄に高い鼻が一瞬ひくつき、
「普通の大学も視野に入れた方が良いと先生は思う」
「芸大も普通の大学だと思うんですけど」
「普通ってのはそういう意味じゃなくてな...とりあえず今日色々調べて、明日再提出するように」
手渡された印刷されたばかりの進路希望用紙は、人生を白紙にされたかのようにまっさらだ。
出入り口で、失礼しました、と形式的な挨拶を吐き捨てると同時に、
シノの薬指と親指が空で何かを摘み、引き抜いた。
その瞬間、コピー機から自席へと戻るカナムラが転倒。
俺も歳かなあ、などと羞恥心を周囲に冗談で誤魔化す声が、
締め切った扉から透けてくる。
この学校に学食はないが、映画はある。
図書室の隅に追いやられるように備え付けられた5台の視聴覚設備の側には、洋画や邦画など、ジャンルを問わずラインナップされたDVDが殆どがホコリを被って陳列されている。
「卒業制作1999」などとテプラでラベリングされたケースには目も暮れず、その一つ上の段から慎重にケースに手を差し伸べる。
「あなた方は今、青春のど真ん中にいるんです。その価値を十分に意識して日々を過ごしてください」
なんて生徒指導の先生はなんの恥ずかしげもなく言っていたが、
この時間がシノにとっては青春なのかもしれない。
ジャケットだけを見て選ぶ時もあれば、背面に印刷された選び抜かれた数カット、あらすじ、キャストやスタッフを全て吟味して選ぶ時もある。
どんな結果になろうと、選択には感情が伴う。選択はナマモノなのだ。
その時の感情によって、無限の選択と自分を生み出す。
返却予定日を再度確認し、図書室を後にする。
結局先週と同じものを借りてしまった。
自分の"癖(ヘキ)"を自覚した瞬間口元が緩むシノだが、
その微細な変化は彼女の母ですら気付かなかっただろう。
ひとつだけの好きがあればいいのだ。無意識にそう言い聞かせた。
周りが田畑に囲まれたこの学校へは、モノレールとJRを乗り継いで40分ほどかけて通う。部活に所属していないシノは、他の生徒が乗っていないこの時間帯の車内が居心地が良かった。
モノレールの駆動音だけが響く車内。
しばし外の夕日を眺めていると、空気中の水蒸気の奥に、
かすかに建設途中の電波塔が視界に割り込んだ。
リュックのポケットから、付属のイヤホンが無造作に巻き付けられたiPod nanoを取り出す。
乗り換えの駅に到着し、電車を降りる。
シノの後ろで扉が開くのを待っていたテニスラケットを肩にかけた制服の青年は、そそくさとシノを抜かして降車する。
カンッ。
鼓膜を覆うはずだったThe Temptationsのグルーブが、手元をすり抜けて電車とホームの隙間に吸い込まれた。ホームを歩くその青年の目の前に回り込むシノ。耳から伸びたイヤホンのプラグを青年の喉に突きつける。
「落とした」
「え?」
「弁償して」
青年は眉間に皺を寄せ、少し猫背になると、
「あ、シノアミか!今日コンタクト忘れちゃったんだよね。ごめん一瞬誰か分からなかった。弁償ってなんのこと?」
ラケットを背負って映画館に来ているのは、タキヤくらいだった。
県内で唯一ドルビーシネマに対応したスクリーンがあるのはここだけ。
シノにいくら熱弁されてもタキヤにとっては、最後にいつ訪れたかすら覚えていないほど馴染みなのない施設だ。
「iPodの弁償で映画って...割りに合ってるの?」
「今日公開なの。初週に観に行かなきゃ意味ないでしょ」
ずらりと並んだチケット発券機へと駆け寄るシノ。
「これ、奢って」
「スレッド・ダンサー?...聞いたことないけど」
タイトルの横に「◎」とある。
残りの座席数の目安であることは、映画館の利用が皆無のタキヤにも理解ができた。タッチ画面を眺めていた視界にスラリと細い腕が伸び、座席を指定する。
G-9, G-10
迷いのないフォームだ。
「え、いつの間にか僕も見ることになってるの?」
「タキヤも観るの」
「せっかく部活サボって家でゲームできると思ってたのに」
「きっと世界変わる。先週ラスボス倒したって言ってた」
「それがですね、その後前作で死んだと思っていた...」
シノの左手がタキヤの口に張り付き、「スポイラーアラート(ネタバレ注意)」、と目も合わせずに呟く。恐喝されたかのように財布を掲げると、張り付いていた手はいつの間にか目の前の機械に千円札2枚を食わせていた。
「メシ以外でお金使ったの、初めてかも」
「良かったじゃん、初めて奪った」
変な表現するんじゃないの、と清楚系を装おうタキヤに、
シノは排出されたばかりで少しカーブのかかったチケットを手渡す。
「ポップコーンとか買わなくていいの?僕は奢らないけど」
「食べ物奢られるの嫌い」
「基準がわからないよ...じゃあ僕チュロス買ってくるから待ってて。この空間に僕が楽しめるものはそれくらいだしね」
レジカウンターへ向かうタキヤの身体。それと相対する向きに働くシノの指がタキヤのベルトを捕らえ、彼を一直線に伸びたピアノ線のように静止させた。
チョコレート、とレジ上部に設置されたメニュー表を直視するシノ。
タキヤはそれがチュロスのフレーバーであることに気がつくには時間はかからなかったが、いきなり投げつけられたワガママに応えるのが癪だったため、なに?、と聞こえないふりをした。
「やっぱレインボー」
「そんな味があるのか」
ノロノロと劇場を後にする人々。
「内容全然ないじゃん!でも逆にそれが良いのかも!確実にツボをおさえてる感じ。自分には分かんないんだけど、きっとシノアミなら元ネタとか全部わかるんでしょ?そうじゃない僕でもあの展開にはスッキリさせられたよ。でも最後のシーンって...」
セメントで塗り固められた歩道には無数の水溜りができており、
いつの間にか止んだ雨が、夏のむさ苦しさを誇張する。
この空間に僕が楽しめるものはない、なんて言っていたやつが、隣で考察をひけらかしている。日中太陽によって温められたセメントは、ゲリラ豪雨によって急激にその表面温度を下げる。
それと反比例するかのように熱を帯びるタキヤが急に滑稽に思え、ニヒヒ、と思わず声が漏れるシノ。
「アミちゃんは笑った顔が可愛いんだからぁ、もっとみんなにも愛想良くしたらいいのにぃ。笑い声は変だけど」
タキヤが語尾を伸ばす時は、決まって発言内容の恥ずかしさを誤魔化す時だ。
「だって別に面白くない。話してても。だから私の笑顔は貴重」
そっか、と諦めたかのように笑うタキヤ。
ポケットに手を伸ばし、パスケースを取り出す。
「本屋行くんだっけ?」
「うん。原作買いに行く」
「面白かったから貸してよ。今度は絶対読むから」
「いつもちゃんと読まないじゃん」
「読む読む」
【4番線 列車が参ります】
電車の到着アナウンスが、改札の外まで響く。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?