『色彩休暇』 #8 群青のカラートップ

「一度も使ったことなかったですけど、無くなったら無くなったでなんかちょっと寂しいかもですね」
学校教育での水泳の授業が正式に廃止になって以降、
4年間の放置を経てようやくプールの取り壊しの話が持ち上がった。
使用されることのなかったプールの底には、
地球の表面にコンクリートの突起を積み上げる人間のごとく、
我が物顔でひたすらに生しまくった苔が広がっている。

「まあいいんじゃない?あっても臭いだけだし」
プール一面に広がった緑の隙間を縫うように覗いた群青色の表面が、
夕日を反射している。

「先輩はなんでモノクロしか使わないんですか?」 
「立花はいつも業務用だよね」
「いや、まぁ、お金ないんで」
「じゃあデジタルにしたら?部室にいっぱい余ってる」
「違うんです。デジタルは。いや、あの、デジタルが違うとかフィルムがいいとかってことじゃなくて」
立花の持ったNikon FAのフィルムを背後から巻く実原。
「実原先輩が使ってるから、フィルムがいいんです」
実原、鼻で笑い、
「知ってる」
両肩を上げて大きく息を吸うと眉を顰める立花、
顔を赤らめてカメラで顔を隠そうとする。
その前方に回り込み、
立花に向かってKonica BiG miniのシャッターを切る実原。
「はっ!え!?なんなんですか!絶対今じゃないです。今すぐ写真消してください!」
「できない。これ、フィルムだから」
「私がやってあげます。蓋を開けるだけで済みますから!」
そう言いながら実原の持ったカメラを奪い取りに詰め寄る立花。
実原は立花が伸ばしたその左手を掴み、引き上げる。
バランスを崩した立花は、もう片方の手で実原に思わずもたれかかる。
実原、右手を立花のおでこに当てる。
「冷たっ!なにするんですか」
「我慢して。最初だけだから」
立花はカメラを掴むのを諦め、掴まれていた腕をだらりと下げる。
立花は実原の胸についたクチナシのコサージュに視線を落とし、
「同じカメラ使ってみたり、私服はパーカーかスウェットだけにしてみたり、外で誰かとご飯食べる時は財布わざと忘れて行ったり。色々真似してみたんですけど」
実原の手のひらに、立花の体温が移る。
「2年も一緒にいたのに、結局先輩みたいにはなれませんでした」
「なんで今日学校来たの。立花、熱あるでしょ」
「今日は先輩の卒業式じゃないですか!生徒全員強制参加ですし。来たくて来てる人、私ぐらいですきっと」
その瞬間、立花を掴んだ実原の腕が緩む。
立花は自分の首から下げたカメラから伸びる巻き戻しクランクを、
くるくると回す。
カメラの内側から生まれるキュルキュルと不規則に響く金属音が、
心許なくもふたりの沈黙を埋める。
フィルムを取り出す立花。
実原、自身の額を立花の額にあてがう。
反射的に実原から離れる立花、フィルムを差し出し、
「これ!撮り終わったんで!向こうに行ったらまずこれ使ってください。ちゃんと重ならなくても大丈夫なんで」
フィルムを受け取る実原。
プールから水があふれ、立花のローファーにしみ込む。
振り返る立花。
実原、両手で立花をプールに突き落とす。

ニイナの記憶で形作られたカラー・ディメンションを
ひたすら落下する立花。
体は動かないが、かろうじて首を振ることができる。
水中に落とした水性絵具のように、
その空間に存在しているものすべてから色が失われていく。
崩壊していく学校の教室の机に座る新菜、
少し身を乗り出して目をつむっている。
まるで水中を泳ぐかのように、浮遊する立花の周りを泳ぐテクノウーパー。
「最初に言うたやろ?どこかにある透明なコインを見つけ出して、ゲームをスタートさせないと、このゲームは終わらんのや。せやけどこのステージにはひとつもそないなコインは見あたらん。DAもおらん。見てみい。わしとお前だけや。
もうここはな、あっちとは繋がってない。そもそもコインっちゅうのもベタすぎやろ。あんなぁ立花、もうとっくに終わっとんねん。お前があそこで自分の色を、手放さなかったからやで」
目を見開く立花、新菜のセリカ GT-FOURを発見する。
車の中で浮遊するゲームボーイのカセットが、周囲から色を吸収している。

#創作大賞2023 #ファンタジー小説部門

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