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【短編】煙火の妖精

 ライターを指に挟み、火が付いたばかりの煙草を片手に、空いた煙草の箱をゴミ箱に捨てた俺には妖精が見える。

目の前を揺らぐ親指ほどのサイズの妖精は靴で踏まれた花屑のようにくすんだ薄ピンク色をしている。俺が煙草を吸っている数分間だけ、妖精は姿を現す。灰が少し落ちた。

 煙と共に現れ、灰と共に消える妖精は通った道に甘い香りを残しながら揺蕩い、そして香りだけを残して消える。消えた後の残り香も帯状に伸びていった後すぐに消えてしまう。香りの伸び切った先に妖精は居るのかもしれないが、辿ったら全てが消えてしまう気がして踏み出せない。触れてみようとしたことも、抱きしめてみようとしたことも、絞め殺してみようとしたこともない。そのくせ偶に、妖精は咥えている煙草の先に口づけしてくる。妖精は熱いなんて感覚は知らないのだろう。身も、心も。それが幸せなのかを俺は知らない。持っている人間に持っていない妖精の気持ちなんて分かるわけもないのに、どうしようもない夢想の時間が無くならない。また灰が落ちる。

 妖精は偶に現れないこともある。五回に一回かもしれないし、三回に一回かもしれない。もしかしたら現れないことの方が多いのかもしれないが、数えたことは無かった。数えたところで、数えなかった時と同じように同じ量の煙草を灰に変えることは明白だったから。

大きめの灰が落ちる。あるいは、全て幻覚なのかもしれない。俺の瞳孔と虹彩の間にしか妖精は生きていない。鼻腔を刺激する甘い香りはもはや味わうことすらロクにしていない口先の棒から漂う抗議。それはそれで甘美な気もする。妖精は俺の中にしかいない。そのピンク色がたとえ象であろうとも、ユニコーンであろうとも、幸せの中においては誤差だ。
はたまた、誰しも見えているくせに人に言っていないだけなのか。少なくとも俺は誰にも言う気はない。もし打ち明けた瞬間、君に「見えない」なんて言われた日には、俺の世界を否定された時には、きっと俺はどうかしてしまう。現実の中に幸せが無いなら、俺は迷わずに逃げる。この世界の人々が逃げこんだ先がこの夢なら悪い気はしない。灰が少しだけ落ちた。

 潮時だろう。火種が落ち、ついに妖精は消える。今日も変わらず伸ばし損ねた手は恥ずかしそうに空を切って携帯灰皿を掴んだ。
煙と共に甘い香りが伸び切るのを待って俺は歩き出す。地に落ちた火種の燻りを丁寧に踏んで消すのを忘れない。

レジで番号を伝え、俺はまた妖精に会う。

何も生まない時間を過ごす言い訳を吐き出す。


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