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【日記】11/30

時給千円強のバイト代で口座が潤うのを見て、11月が終わるのを感じた

今年ももうあと31日しかないよ、と友人にLINEした後で自分で書いた事実に驚かされる

あと31日!?短過ぎる。十一ヶ月間何もしてこなかった人間があと一ヶ月で何が出来ると言うのだろうか。体感ではまだ6月とかそこらだ

それでなくとも既に遊びの予定が立て込んでいる。24日辺りから急に友人の付き合いが悪くなる不思議な時期が訪れるが、それまでは毎週しっかりとした予定が立ち、予定を立てていないだけの約束がその間を窮屈そうに這って居場所を探している

そもそも、年が変わる前に何かしなければ。という強迫観念が予定を狂わせている気もする。この時期のことを師走と人は呼ぶが、私はなるべく走りたくない。しかし、

「冬休みなら暇だよ」
「年内に遊ぼう」
「今年中に会いたいよね」

そんなことを言われると、とても「来年でもいいじゃん」とは言えない雰囲気を感じる。必然性の無い区切りの中で決着を付けたいという感情はどこから湧き出てくる焦りなのか

あるいは、聖職者も走る年の瀬に落ち着けというのが無理な話なのかもしれない

そういえば、日本語には一年の終わりを示唆するような意味の単語が多い気がする。年末、年の瀬、暮れ、師走、歳末、歳暮、今思いつくだけでもこんなものだ

指し示す単語が一つしか無いのに、誤用されることでその単語すらも消えていっている事例を幾つも知っている身からすると厳重さすら感じる量だ。何か日本語の中で意思統一を図っているような、末や暮など終わりを想起させる単語が多く使われているのも意図を感じる

こんな取り留めのないことばかりを考えているから私は走れないのかもしれない。別に走りたいわけではないが、世間が走っているのに一人違う時間を生きるのは何となく居心地が悪い

せめてもの足掻きとして口座から纏まった金額を引き出すことで何とか走る姿勢を作る。何か大きな事をしそうなポーズだけを取らされた財布は不機嫌さに膨れていた

ATMに表示された残金に僅かに肌寒さを感じながら私は師走を迎える

ちょっと走ってみようか


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