【日記】12/2
12/1、更新失敗。結果的に三日坊主となってしまったわけですが、5日目からまた始めればノーカンという話を聞いたことがあります
ありますよね?ない?本当に?不安になってきたのでGoogleで調べます。あ、ほら、やっぱりあった。いやいや、分かってもらえればいいんですよ
(閑話休題)
偉大なるGoogle先生でついでに調べたところによると、三日坊主というのは仏門の修行に耐えきれず三日で抜け出してしまうような根性の無い坊主の様子から来ている言葉らしい
後世で数百字の日記すら継続して投稿出来ない様が語源の慣用句が作られない事を祈るばかり
ただ私の場合大抵の三日坊主の原因は"飽きっぽさ"や"辛抱の不足"ではなく"忘れっぽさ"にある気がしている
一度忘れてしまったことを取り返そうと頑張ろうとして結局諦めるような生活が何となく少年時代から続いている感覚があった
また、どこか完璧主義的な強迫観念が根付いている気もする。一日やらなくなってしまえば、その後取り返すよりも諦めてしまった方が遥かに美しい事のように思えてしまう。完璧じゃなくなったなら、もう全て同じ
誰が見ているのかと訊きたくなるようなnoteの場末にある日記でも、それは同じ
それでも最近は一度途絶えた物も頑張って継続するようにしている。何よりそっちの方が生きやすい。一度行けなかった授業に、はたまた遊びの約束に、恥を忍んでもう一度行ってしまえば案外復帰が楽なものだったり、誰も気にしていなかったり、案外自分なんてそんなもんだと肯定的に思えるのは幸せな事だったりする
今日、出勤するバイト先に提出しなければならない書類の期限を一日過ぎている事に家を出てから気付いた。普通に取りに戻っては遅刻は確実な時間だったので諦めて出勤したが、本音を言えば休んでしまいたいくらいだった。堪えられたのは今日見込まれる店の忙しさと自分の財布の軽さを思い出したからだ
結果から言えば、予想に反して全く怒られなかった。勤務終わりに予備の紙に必要事項を記入して終了、今日の仕事に感謝すらされた。今思い出しても不思議な気分だ。めちゃくちゃ怒って欲しいわけでもないが、怒られないとそれはそれで不安になる経験は共感の的になり得ると思う
ただ、だから怠惰なままでいいと言えるほど私は厚顔ではない。そうであればとっくにこんな思考から解放され、ただ書類を出し忘れた日記がこの文量になる事は無いのだろう
正しく完璧であろうとする事が大切だという思考は未だ捨てきれていない。ただ、それと今の自分に折り合いを付けることで少しだけ気楽に生きる事が出来るのかもしれない
なので、というわけでは無いけれど冒頭でいっぱい喋ることで更新忘れをノーカンにしようとした事もついでに許してほしくて…
あ、いや、別にそこまでしなくても…
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