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過去の感覚、あるいはデジャメヴュについて Ⅳ  Yu Amin

Ⅳ. 臍

 幻の過去の感覚についての奇想は、円環する輪廻という宗教的口実を奇貨として合理化されていた。一方で、始まりと終わりに区切られた直線的な時間を生きるキリスト教世界にあってこの奇想は、時間の始まりが惹起するある不合理を説明する宗教的(かつ科学的な)口実としてひねり出されたこともあった。ボルヘスは、エッセイ集『続審問』(Otras inquisiciones,1937-52[中村健二訳、岩波文庫、2009年])中の一編、「天地創造とP・H・ゴス」(1941年)で、表題にもある英国の動物学者フィリップ・ヘンリー・ゴス(1810年〜1888年)の提唱したある珍妙な学説を紹介している。その紹介に入る前に、この学者を取り巻いていた学術的な背景を述べておきたい。19世紀にとりわけ英国で目覚ましい進展を見た古生物学と地質学は、地層成分の分析や化石の発見という成果をもたらしつつも、多くの学者を困惑させるようになっていた。地質学がはじき出す「地球の年齢」は聖職者が聖書に基づいて計算したとされる「世界創造」の年代(一説によると紀元前4000年あたりらしいとのこと)よりもはるかに遡って古く、古生物学は聖書の言及しないような未知の生物の存在を告げていたからである。そうした古生物はノアの大洪水で死に絶えたことにできたりすると好都合なのだが、『創世記』はあいにく大洪水の際にあらゆる動物が一対ずつ難を逃れたと語っている。科学者たちが信仰とも聖書とも絶縁しているならばこんな問いにかかずらう必要もないのだが、自然科学はニュートン以来この時代になってもまだまだ信心深いのである。もっとも保守的な学者たちは、聖書の記述の無謬を大前提にその証拠となるような都合の良い地質学的資料を探索しようと試みていた(ちなみに、こうした「聖書地質学」と呼ばれる倒錯した営みは、どうやら根本主義者の多い米国を中心に今でも健在のようである)。他方で、できるだけ科学的に合理的なしかたで、地質学や古生物学の知見と聖書の世界創造説を調停しようとする「自然神学」という潮流が英国では盛んになり、多岐にわたる学説が提唱されるに至った(この思潮の消息については、1951年に出版された地質学史の古典的研究であるチャールズ・C・ギリスピー『創世記と地質学——19世紀の科学思想とその神学的背景』島尾永康訳、晃陽書房、2016年を参照のこと)。
ゴスの学説はこうした背景のもと提唱されたのである。その主著『オムファロス——地質学の難問を解く試み』(Omphalos : An Attempt to Untie a Geological Knot, 1857)のなかで、ゴスは「いかに神と化石を調停させるのか」という決定的な問題に解決を与えたと自負している。古生物グリプトドンの化石はたしかに見つかった。しかしグリプトドンは最初から化石として創造されたので、大洪水で死に絶えてもいない。地質学の告げる木々の年輪や地層の堆積もそのまま受け取れば聖書に矛盾するが、実は初めから年月を経たものとして創造されていた——。また、この著作がギリシア語で「臍」を意味する「オムファロス」と題されているのは、著者が当時交わされていた、最初の人間アダムに臍があったかなかったかという論争にも決着をつけるつもりだったからである。アダムは神から直接創造されているので母をもたない。それならば臍はないはずである。しかし、神は被造物を見て「極めてよかった」と宣言しており、この一節から、被造物は不備なく完全に創造されたと解釈する者もいた。臍を欠いた不完全な人間が最初に創造されたとは考えられないという反論と、母のないアダムに臍があるはずもないという、こちらも聖書に依拠した主張とが論争を繰り広げていたらしい。ゴスの調停策はこうである。アダムはもちろん臍を備えて創造されたが、この臍にはもちろん臍の緒は付いていなかった——。さらには先ほどと同じ要領で、アダムは初めから33歳の姿形で、33歳の年輪をもつ「歯と頭蓋」(またしても「頭蓋」!)を備えて創造されたのだという(ちなみに、アダムが33歳という設定についてはボルヘスが説明しているように、キリストの没年齢が33歳とされていることを踏まえている。パウロが『ロマ書』や『第一コリント書』でキリストをアダムと首尾照応する存在としたことから、アダムの生まれた年齢はキリストの没年齢と一致すると解釈されてきたようだ)。生まれた時から33歳にされてしまったアダムのそれまでの33年、最初から化石と過去にされてしまった古生物が生きたその生の全体、それはもっとも厳密な意味で幻の過去というほかない。ここではもはや、実際に経てきた過去と区別される幻の過去が問題とされているのではなく、ある範囲の過去全体、あるいは一切の過去全体が幻にされてしまっているのだから。幻の過去というより過去という幻。
それでは、アダムの記憶は幼年期の幸福な「真実」を知ることもなく、楽園追放の苦い艱難を味合うことになる33歳の時点から始まるのだろうか。どうもそうではないようである。このあまりにも意表をつくオムファロス仮説は宗教界と学会の双方から批判されたのち日の目を見なくなるが、前世紀になってある哲学者に翻案されることになる。ほかならぬその哲学者であるバートランド・ラッセルは、『心の分析』(The Analysis of Mind, 1921[竹尾治一郎訳、勁草書房、1993年])の中で、ゴスの学説にならったようなある思考実験をしている。「世界が五分前にそっくりそのままの形で、全ての非実在の過去を住民が「覚えていた状態」で突然出現した、という仮説に論理的不可能性は全くない」。この思考実験の主眼は、過去についての知識が過去そのものの実在とは論理的に独立していることの証明にあるが、ゴスのアダムに当てはめてみるならば、彼は33歳の時点でそれまでの人生の記憶をすでにもった状態で創造されたということになる。33歳までのアダムの過去は幻であったが、それでもその幻の過去についての記憶をもっていた。最後にラッセルの名を引いてボルヘスがまさに要約するように、この人間は「ただ「ある幻の過去」を思い出しているだけ」なのである。創造の時点で最初からビルトインされていたこのアダムの記憶は極めて独特の位相にある。この記憶は、わたしの想像する80年代にとっての、実際の80年代、イシグロのash potが代表していた幼年期の幻の日本像にとっての、彼が実際に過ごした6年間の日本体験、頼朝公幼少のみぎりの髑髏にとっての、51歳で死没した頼朝公の本物の髑髏のような、幻の過去がその根拠を曲がりなりにもそこから借り受けているような実在した対応物、それを完全に欠いているからである。だからこれは、幻の過去の感覚の純粋形態であり、デジャメヴュの極北である。ボルヘスとともに、ゴスの発揮した神学的かつ科学的想像力のうちに、ただただ「軽やかにも怪物的な優美さ」を認めるほかはない。

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