遊ぶ

ヨハン・ホイジンガ曰く、人間とは「ホモ・ルーデンス=遊ぶ人」のことである。

僕は子どもと遊ぶことに関しては、誰にも負けたくないと思っている。

父親としての僕のライバルはデヴィッド・ベッカムだが、この点については僕の方がリードしていると確信している。

先日、「ベッカムの頭髪が薄くなったのでは?」というネットニュースを見て、また僕のリードが広がったかと思ったが、人の失点を喜んでいるようでは彼のようなナイスガイの足元にも及ばない。

僕は僕らしく、何を子どもに残していけるのかを真剣に考え、積み重ねていくだけだ。

子どもと遊ぶことが苦手な大人も少なくないとは思うが、僕はお酒やコーヒーが苦手な子どもっぽさの残る人間だとはいえ、子どもと真っ向から対等に遊べるほどの精神的な幼さは失ってしまっている。

でも、幸いにも子どもだった時の記憶が残っているので、自分が子どもの頃楽しかったことを中心に休日の過ごし方を計画している。

近くの公園やホームセンターに行くももちろん楽しいが、僕は断然車で遠出するのを好む。

それは超プレーボーイの友達に聞いた話も参考にしているからだ。

女の子とデートする時に一番困るのが会話で、最初から盛り上がれば良いのだが、ビックリするぐらい噛み合わないこともあるし、話すべき共通の話題を持っていないこともある。

彼はデート中の会話を極力避けるために、車で映画を流しながら2時間かけて海まで向かい、ちょうど映画の終わりが夕焼けの時間に重なるようにドライブをする。

映画は定番のホラー映画をチョイスすれば吊り橋効果でドキドキ感も増すし、気まずい沈黙を感じることなく一緒に過ごす時間を約束し、夕日を見てロマンチックな気分にもなり、その後で映画の話をしながらディナーを食べればある程度の会話もできる。

この話は目的に辿り着くまで、論理立てて考えて準備することの大切さを示しているし、家族と過ごす時にも応用できる。

わが家のドライブは子ども達が後部座席でアニメ映画を見る時間であるとともに、共働きの夫婦が会話をする貴重な時間でもある。

妻との会話に困るとなると別の方法も考えないといけないが、わが家は幸いにもお互いに話たいことはたくさんあるし、妻が疲れてたら寝させてあげるのも良いかも知れない。

目的地では、旬のモノを狩るのが一番オススメだ。

ブドウやミカン、イチゴやサツマイモはもちろんのこと、思いがけずにできた菜の花狩りが子ども達にも好評だったことがあり、その季節の旬のモノに外れはないと言える。

夏だったらマスのつかみ採りのようにアクティビティと一体化されてるものもあり、狩れるモノは手当たり次第狩っておいて間違いはないだろう。

何かを狩った後には大きめの公園で体を動かし、遊びの最後は温泉で仕上げたい。

広いお風呂はリラックス効果もあるし、どんなに小さな子どもでも非日常を体験できる。

風呂上がりの眠気に誘われながら、夕食を早めに食べて帰路へつけば、子ども達は車内で寝息を立て、結果的に家に帰ってからもゆっくりできる。

これがわが家の基本的な休日の過ごし方だが、注意点はどれだけ子どもと遊んでも自分は眠くならないという驚異的な体力を必要とすること。

普段から遊びに向けて体調管理に努めて行けば、人間の体は次第に順応して眠さを感じ無くなるから不思議だ。

費用については事前のリサーチや割引券、お弁当の持参で削減できるが、僕は子どもと遊ぶために働いていると割り切って、気持ち良くお金を使っている。

生きるために仕事は必要だが、それにかまけて遊びを疎かにしては人間らしさは失われてしまう。

何よりわが子達が遊んでくれるのは10年足らずの限られた時間であり、それより大切な仕事はこの世にはないのだ。

先日珍しく休日出勤した帰り道、家の近くの公園で遊んでいた家族と合流し、車に乗せて帰宅した。

家で夕飯を食べながら

「今日何が楽しかった?」

と息子に尋ねると、予想していなかった答えが返ってくる。

「公園でパパと会えたこと!」






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