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世界を怒鳴り得にさせないために

人は怒鳴られると、止まります。

「怒鳴り」はふだんの生活でなかなか体験しません。
人が大きな声を出すこと自体が異常事態です。

仕事では、それを悪用できてしまいます。

たとえば、理不尽な要求も、怒鳴ってしまえば、怒鳴られたくないと思って飲むかもしれない。
思い通りにしたい人が、怒鳴りさえしてしまえば、それに屈してその通りにさせられるかもしれない。

でも、世界をそんな怒鳴り得にしてはだめですよね。
正しくて、穏やかで、知的な人が損をしてはいけないですよね。

そういうときに「怒鳴っている人」にむかって「怒鳴らないでください」といってもまったくの無意味です。
泣いている赤ちゃんにたいして「すみません、10分ほど止まっていただけないですか」っていうくらい無意味です。言葉つうじないし。

怒鳴られる側が、「怒鳴ってもあなたの都合のいいように状況は変わりませんよ」という態度に出なければいけないのです。

なんで怒鳴られる側がそんな努力しなきゃいけないんだ、と思いますが、しかたがないです。
「なんで赤ちゃんをあやさないといけないんだ」と思うくらいしかたがないです。赤ちゃんって泣きますし。

どうしたら怒鳴られる側が毅然とできるか。
これはもう、「ワクチン」をうつしかありません。

コロナも人類は「ワクチン」によって乗り越えましたし。

なんでワクチンなんてうたないといけないんだ、って思ってもしかたがないです。相手はウイルスです。言葉なんて通じないのです。

怒鳴られることに対しての「ワクチン」とはなにか。

脳内で、その人が怒鳴っている姿を想像するのです。
そしてその怒鳴っている人を脳内で笑ってやるのです。
ばかじゃないの?と。
なに大きな声だしてるの?と。
怒鳴ることでしか人を動かせないの?と。かわいそうだなあと。
誰からも相手にしてもらえないんだなあと。
その怒鳴り声を発するエネルギー、もったいなあと。
その大きな声を出すためだけに摂取された食べ物の気持ちになってみて、ああ、せっかくおいしく作ってくれたのに、汚い声に変わってしまって悲しいです、と。

このワクチンは1回では足りないので、3回、4回くらい接種することがおすすめです。

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