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これまで・これから

まえがき

何が書いてあるか

今、自分は何に情熱を注ぐのかを考えた思考プロセスです。
結果、どのように「仕事」を選ぶと良いかの現時点での持論になりました。「仕事=情熱の対象」という定義で捉えています。

Uzabaseという素晴らしい会社を離れ、新たな「仕事」に取り組むことにしました。Uzabaseには、コロナが猛威をふるいはじめた2020年10月に入社し、濃密な3年間を過ごさせて頂きました。本当に、あっという間でした。感謝しかありません。

メモ

「文章」として再構成しており、プロセス・時系列は多少前後があります。
内容に不快な点や問題があれば、ぜひ教えて下さい。

本文

きっかけ

具体的なきっかけは、ある会合での、以下の問いかけでした。

今は、自分の「情熱の対象」を本気で考え直すよい機会だ。

妙にこの問いが突き刺さり、数年ぶりに、じっくりと自分と向き合う機会が訪れます。
*Uzabaseでは情熱という言葉によく触れます。以下の記事が、とても好きです。

当初は、「自分が寝ても覚めても考えていられること、いたいこと」を再確認しようとしていました。内省のみではなく、多くの方と対話させて頂きました。私は思い込みが激しく、他の方の意見を聞かないと、すぐに客観性を失ったり、観点に抜け漏れがでやすい癖があるからです。(また、自分のことを一緒に考えてくださる方がいることに、本当に幸せを感じました。)

見えたこと:What < To be

多くの方からのフィードバック(FB)を経て、最終的には(What)と(To be)の2つの観点で、仕事を選ぶ「軸」のようなものが見えてきました。

もともとは、きっかけとなる問いかけを受けて、自分の情熱の対象はなにか(What)ということから考え始めたことは冒頭のとおりです。(What)から思考をスタートしたものの、(What)が何であれ、どうあるか(To be)が守られていれば十分に幸せであるという仕事観もあることが思い出されていきます。当初は、妙に(What)を探すことへの執着が強く、人から「(What)の探索に拘っていることが、とても奇妙に見える」というFBを受けても、まったく受け入れられませんでした。むしろ、私の考えていることが伝わらないな、どう説明すればいいかな、と困った感覚すら持ったこともあります。(今思えば、相手の方には本当に申し訳ないです。)

しかしながら、信頼する複数の人から、あなたには(What)は関係ないのだ、という趣旨のFBをもらうにつれ、なぜそのFBをして下さるかをしっかり確認するようになっていきます。長年仕事をご一緒して、定期的に1on1をさせて頂いている方に、「藤田くんは、周囲5m以内にいる人に、異常に関心が強いと思うよ。5mはもちろん例えだけど、身近な人が自分らしくあれているか、強みが発揮できているかに関心が強いのであり、自分がそこに寄与できていれば、それ以外は実際はどうでもいいじゃないかな。昔から、何度もそう言っているのだけど。」という説明を受け、ハッとします。なるほど、確かにそうだ。自分はどうあるか(Tobe)を働く上でもっとも大切にしているのであり、(What)はそこまで関係ないということを確信していきます。

(What)に強い執着がある人を、なぜか自分はカッコいいなと見てしまう。自分もそうならねば、と引っ張られてしまう。できないことや、不得意なことを、やれるようにならなければ、という思い込みがある。なぜか、自分ではない何者かになろうとしてしまう。できないことをできるようにならねばと、そちらに固執してしまう。Uzabaseは、(What)にこだわっている人が多い(=「自分にはないからカッコよく見えてしまう人」が多い)からこそ、またその無意識が発動してし、自分も(What)を探さねば、となっていたのかなと思います。(余談になりますが、例えば、相手と意見が違うとき、相手が強く主張してくると自分が言い返せなくて、言い返せる自分にならなくては!となってしまうなど。このような場合、言い返せる自分になるのは選択肢の一つでしかなく、一緒に誰かに話し合いに入ってもらう、相手に自分の意見が伝わる本や記事を渡すなど、実質的に目的を果たす方法はいくらでもある。自分の個性に無理をさせてまで何かをしなくてはいけないことなんて、本当はあまりないのだということを感じています。)

また、先のFBでも出てきたように、自分にとっての(To be)も形を成していきます。当時ぼんやり再確認できたのは、ありたい(To be)の原形は、身近な人が自分らしくあれているか、自分がそこになにか寄与できるか、ということでした。元々、Uzabaseに転職した際は「情熱的なチームをつくりたい、つくれる」という論で面接を受けていました。そして、そのような自分でもぜひ来てほしいと言ってもらい、入社を決めました。そう思えば、そもそも、過去も(To be)で決めているのでした。

(To be)という概念を自分の中に取り戻し、それが満たされている上で、自分が何に今後集中していくかを、改めて考えます。過去、自分が海外事業を立ち上げたときや、営業企画の責任者をしていたときの経験があり、今のSPEEDAやUzabaseのサービスの素晴らしさは、心から信じられています。つまり、(What)も充分満たされている。

情熱の対象(What)があり、自分が自然であれる(To be)環境があり、仲間がいる。この枠組みで現状を再認知すると、確かにUzabaseにはそれがあることを、改めて感じとれるようになりました。そして、これらが揃っている組織に出会えることは、そもそも奇跡的なことであると今では思っています。(日常をなんとなく過ごしていると、この奇跡を忘れがちになるのが怖いところ。)さらに、Uzabaseは、「どうあるか(To be)」について、多様な「ありよう」を持つ人を受け入れられる仲間がめちゃくちゃたくさん集っている、かなり稀有な組織だと思います。「多様さを受けられる組織・集団」という感覚は、シンガポール国立大学でMBA学生をしていたときに育まれました。この感覚を体得すると、同調圧力の強い集団に非常に敏感になります。しかしながら、Uzabaseは本当に同調圧力を感じなかった。さらには、(What)についても、究極的には自分がどのようにハンドリングするか次第で、いかようにも変化していく柔軟性もある。(詳細は、ぜひ採用ページで)

(what)も(to be)も満たされているUzabaseにいられたからこそ、そもそもは自分の(What)がなにか、から考え始めたものの、特に自分は、(To be)に軸足があるとの確認ができたのだと思います。逆に言えば、満たされていないと、ないものねだりの思考に引っ張られてしまうことがあるのが自分の癖。

自分らしさをWhatとTo beの双方へ

では、(What)と(To be)が満たされているところにいるから、それで良いのかというと、ここでは終わりませんでした。終わらなかったのです。ここで終わらなかった理由は、個人的なことを含めて、いくつかあります。
もちろん、個人的なことの中に、より生々しさがあるのですが、公開情報という特性を鑑み、自分が「何を仕事とするか」という検討プロセスに絞って書いていきます。

この後には、Uzabaseで過ごす時間で育っていた「心から好きなことに取り組んでいる人に、努力の人は敵わない」という自分の価値観に基づいて、思考を巡らせていきます。(むしろ、好きなことに取り組んでいる人は、比較や、相対的という概念のないところ=敵う、敵わないとか、どうでもいいところにいるのですが。)とことん好きなことをやっていると、提供価値がどんどん上がる。(What)にこだわりが少なくても、(To be)から発動する好き(仲間を大切にする、みんなで圧倒的な成果を出す、どうせやるならこだわり抜きたい、などTo beは本当に様々です)を大切にしている人は、成果への執着、行動の強度が異常に高い。結果として、提供価値が圧倒的に高い。そのような人と接することで「好きなこと」は、「ありたい自分」や「得意なこと」と、より同一化させていたいという思いが強くなっていきます。社会的な評価や、見栄など、ノイズを排除したい。ノイズに振り回されて、不必要な時間を生みたくない。

それで、「好きなこと」を考えます。私は、1対1での会話が好きです。特に、相手のこれまでの人生について聞かせてもらうことがとても好きです。そこには、その人の価値観、判断基準、らしさなど詰まっていて、会話を通じて本人がそれを再確認していく。その時間が好きです。この「好き」を生かし、私は「人に向き合い続ける」自分でありたい。結果として、「関わった人を元気にできる、もしくは、安心してもらえる」ことができれば、私は幸せを感じられる。だからこそそれを、「得意なこと」として、もっともっとうまくできるようになっていきたい。この純度・時間密度を高めようとしたのが、今回Uzabaseを離れることにした理由のひとつです。(ちなみに、本性という意味では、自分の行動を誰からも制約されたくない、変化の手応えがないと飽きるなど、いろいろな本性も再確認しましたが、仕事を選ぶ軸とはちょっと違うのであまり触れていません。ただ、「自己認知を高める」という意味では、自分の本性を知るのは非常に良い経験でした。)

自分の得意を磨く時間を極限まで増やす。他方、日常の大部分は、仕事をしている。だからこそ、仕事の成果と、自分が相手の話を聞かせてもらうこと修行が極力一致する居場所を探す。これがテーマになりました。(ただ、好きなことは知らず知らずのうちに情報を集めているので、その場所はすぐに見つかります。前々からそこにあることをしっていたのに、自分がそれを選んでいないという不思議なものです。)

自分にとって(To be)が大切なのは承知の上で、それだけではなく(What)すらも、もっと思い切り自分の純度の高い領域に寄せていく。上述の通りUzabaseでも(What)を見い出せていましたが、それをさらに絞りにいくことにしたということです。絞りにいくとは、(What)を「自分の得意」と「(世界が)こうあったらいいな」の交差点につくる、ということです。

(To be)が大切な自分にとっては、「こうあったらいいな」単体だけであれば、比較的広い対象に(What)を持つことができるけれど、「自分の得意」と掛け合わそうとすると、途端に対象が絞られることもわかりました。他方、だからこそ、自分の集中力もあげていけると思っています。(今回は、この仮説へのトライでもあります。)

いま時点の「自分の得意」は、「人と向き合い続ける」で留まっており、
これにさらに、(あなたと話すと)「安心する」「元気になる」と思われる力をつけていきたい。そして、元気、安心は、自己信頼が基盤となり、自分らしさが発揮・自覚されてこそ、生まれてくるもの。

もともと発達心理学が専門ですが、特に「自分とはなにか」がマイテーマで、じゃあ、自己信頼や自分らしさって何?など、この領域については興味がつきませんし、かなり具体で話せると思います。(この部分はもっともっと詳細に、こちらのnoteでも書いていきたいと思います。)

また、「仕事とはなにか」についても、定義付けはもちろん再考しました。考え直すなかで、「こうあったらいいな」というワードを5年以上前の日記から発見しました。私にとっての「情熱の対象=仕事」とは「”こうあったらいいな”を少しずつでも実現していくこと」です。

そして、今、自分が「こうあったらいいな」と思うのは、「心が疲れてしまう人が減り、毎日元気に起きられる人が増えること」です。

「自分の得意」と「こうあったらいいな」の交差点で見出した手触り感のあるテーマは、「テクノロジーを活用し、より自己認知を高めやすくすること」です。

義務感・責任感「だけ」で何かを頑張ることを世の中らなくしたい。
疲れているのに「大丈夫です!」と言い人を減らしたい。

(What)が自分の仕事の幸せにあまり影響しないとは言うものの、大切な(To be)を守って自分がそこにありたいようにあるだけではなく、自分のあり様から磨かれる得意を生かして、もっと「こうあったらいいな」という思いを「サービス提供(=世界への変化)」につなげる。(What)も(To be)も、もっともっと自分の純度をあげまくり、結果、フルスイングし続ける、というのが今回の意思決定内容です。(本当にいけるかな。ドキドキする。)

探求テーマ

「テクノロジーを活用し、より自己認知を高めやすくする」というマイテーマについても少しだけ。

自己認知は、とても広い言葉ですが、ここで言っているのは「自分がポジティブな反応を示す対象を明確にすること」です。

1on1が大好きなのでよくやっていますが、これらを通じて、人が責任感や義務感に振り回されないためには、自己認知の高まりが鍵になる考えています。そして、自己認知が高まるためには「他者からのフィードバック(FB)」が主なきっかけになるけれども、これがあまりにも両刃の剣であることに課題を見ています。FBする、される人の状態、関係性、言葉づかい、タイミング、様々な変数が合致して、はじめてFBは効果的になる。変数は個人によって異なり、さらにオンライン化で相互の状況把握がし難いため、その難度は上がってしまう。さらには、誰もが、直接の会話を通じたFBだけではなく、「他者」が漠然としたもの、たとえば、社会規範、文化、マスコミなどからも、ガンガンFBを受け続ける。ノイズを抜き去り、自分に必要なFBを取捨選択しながら効果的に自己認知を高めるのは、本当に難しい。振り回されているのか、自分が自ら選んでいるのか、見えなくなる。
もはや自己認知を高めるために効果的なFBが得られる確率は、ガチャに等しいのではないかとすら思います。でも一方で、私は、人同士が向き合うことで、自分のことをより深く理解できるようになることの力も、心から信じています。

だからこそ、フィードバックの難しさに対し、その可能性をより効果的に引き出すために、テクノロジーでの解決を探求したいと思っています。

今後のこと

10月からは、Poeticsというスタートアップに参画します。

Jamrollという「商談書き起こし」のプロダクトを持っており、Newspicksでも記事が出ました。営業DXとを入り口に、音声データ(感情解析)をストックしたAI事業を展開しようとしています。
が、このツールや事業が云々というよりは、この組織のミッションに、自分の「こうあったらいな」と「得意」を重ねました。

「共感」で声を響かせる

私たちPoeticsは、
人々の歴史的な背景やその人特有の個別性に配慮する力を
「共感」と規定します。

この「共感」に基づいた技術・プロダクトの開発を通して、
配慮に基づいたコミュニケーション(声)を世界に循環させ(響く)、
未来を創造することを私たちは使命としています。

https://www.poetics-ai.com

書き起こしによる会話内容の一次情報にアクセスしやすくなることは、今まで他者や自分すら見えなかった自分が見えるようになること。
結果、その人の見えなかったものが見えるようになり、自己認知が高まることにつながる。3.11震災時のメンタルヘルス問題について、音声感情解析を通じて解決策を見出そうとしたことが祖業である点も、事業の魂に自分のWhatを重ねられた点です。

さいごに

いつでも声をかけてほしいです

「自分」を巡ってなにかの気がかりがある方、ぜひお話したいです。
自己認知を高めるための対話が、世界で一番うまい人なりたいと思っています。
良い対話だったと思って頂けるよう、全力でお話させて頂きます。(全力で、とか書かれると軽々しく頼めない!と感じた方、是非気にせず気軽に連絡下さい!)

連絡先:https://beacons.ai/yuichi.fujita

ここまで読んでいただいた方、本当にありがとうございました。
ぜひ、ご感想でも、意見でも、読んだよだけでも、なんらか個別にご連絡頂けると嬉しいです。このような文章を読んでくださる稀有なあなたと、ぜひご縁を大切にしたいと思います。

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