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2023札幌マラソン反省記



人間は考える葦であるため、私も札幌マラソンから1日経過して、ふと振り返って反省してみようと思う、どうせなら来週のくりやまマラソンは楽しくゴールしたい、走るのが楽しみになるなんて我ながら成長したものだ



まず昨日のランニング、札幌マラソン、私の反省としては圧倒的にペース配分だった気がする

私は元々短距離が得意だった、小学生の頃から高校時代に至るまで何もしてないのに運動神経抜群を地でいっていた。帰宅部のくせに高校時代100m12秒代で走っていて陸上競技大会などでは運動部に混じって表彰などされていた、嘘みたいな本当の話、20年後に大通り公園や狸小路をモヒカンでヒャッハーしてるなんて夢にも思わなかった

足が速い男はモテるし全てを手にできるのも知っている、あの感覚はたまらない、ここはぜひ私の駄文ではなく魚豊氏の名作漫画“ひゃくえむ”を読んでいただきたい、本当読んでほしい、名作すぎる、因みに最近ハマってるのは葬送のフリーレンです、段々ズレてきたので割愛



その為、おっさんになった今でも癖が抜けず最初かっ飛ばしてあとは死ぬ、みたいな走り方を長距離でもしてしまう癖がある、これは妻とランニングした時に死ぬ程指摘され痛感してきたことだ

陸上をやっていた妻は私とは性格以上に走り方も真逆で、5、6kmあたり走って疲れてきたあたりから加速してくる、ペース配分が本当にうまい、なんでこんな走ってんのにいきなり加速できんの?てくらい途中でペースを上げることができ、結果抜かされる、追いつけない、まさにウサギと亀状態だ


今回の札幌マラソン、確かに走り切ったとはいえこのペース配分がよろしくなかった。今思えば最初の数キロもう少し抑えていれば後半まで楽しく思い切り走れていたのかなと思う、ここは反省すべき点だ、つくづくマラソンとは奥が深い競技である



次に「周囲に走っている人がいる」と言うこと。

これも結構でかい、私には妻以外一緒に走った経験がない、妻もずっと膝を悪くしていたからこの数ヶ月はほとんど別で1人で走っていた、しかも周囲なんて人どころか突き抜ける程綺麗な大空と牛しかいない、牛て。

そのため「人に抜かされる」、「人を追い越す」という感情があまりわからなかった、気づかないうちにプレッシャーがかかっていたのだろうなと、今になって感じる

マラソンは、ランニングは、自分との戦いだと常々思う

周りのペースに流され飛ばして途中でへばったり、後ろの人から追い越されてヘタったりする経験が私にはなかった、これは大きな成長だし発見だ、もっともっと自分の世界に没頭できるようにしたい、音楽を大音量でかけていたのは良かったかもしれない、ただ久々の大会で嬉しくて飛ばしてたのは悪くなかった、本当に気持ち良かったのだから


最後に太陽があるうちに走ること、である。

私は日中より、早朝か夜に走ってる時間の方が圧倒的に多い、仕事をしているのでしょうがないし反省と言うわけではないのだけれども、日中の照りつける日差しの中走るのと涼しい夜走るのはわかってはいたけれども全然違うんだなと感じた、札幌マラソンの10kmはいい天気だった(ハーフは雨が降ったりしてたけど)ただ10月なのに25度もあるとは思わなかった、だからこそ“日差しが体力を奪う”と言うところまで計算して走っていれば良かったなぁと今にしてみれば思う


いつも肺やお腹が痛くなっても途中でペースダウンすればやがて落ち着いていたのだが、大会、と言うものが頭にあり思っていた程ゆっくり走れず足を残せなかったなぁと思った、そのため次の大会では序盤は無理せず5kmからが勝負くらいの意気込みで走り抜けたい






マジ真面目だな俺




ここまで書いて思ったけど、走ることの素晴らしい点は【こんな考えマジどうでもいい】という点だと思う。



私がどんだけ考えて走ろうがヘバろうが泣こうが喚こうが喜ぼうが、そんなの知ったこっちゃない

たとえ私が次の大会で何を考えてどんな記録を出そうとも別にどこの誰にも何の影響もなく明日はまた来る。

太陽は沈み、そして昇り、会社のビルは爆破されることなくまたクソみたいな仕事が始まり家に帰れば妻は寝ているだろう、私が走っている理由にこの「意味がないこと」であるのが物凄くでかい、私は意味がないことが大好きなのだから


大人になると特にだが、人はどんどんと何かしらをするのに理由や意味を求めるようになるなと感じている、周囲を見ていて物凄く感じる、アラフォーなんて特にそうでくだらなくて笑えてくる

どいつもこいつもすぐに理由を求める、そして筆が止まる、足が動かなくなる、何もしない、私は昔からこれが好きじゃない、理由なんてなくていい、ないからこそ素晴らしく尊く“なぜなんだ?”という概念が生まれる。走ること、という鬼のようにアナログな行為に物凄く人間であると実感し、自分が高まっていると私は実感している



だから私は常に考えて走っていたい、死ぬまで考える葦でいたい、何回も何回も振り返りながら前を向き【マジどうでもいいこと】に夢中でいたい限りである


以上反省終わり、さ洗濯しよ

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