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友達と蛍を見に行った日

東京でしか暮らしたことのなかったわたしが、実家を出て山口県に移り住んでから、何年か経った。

移り住むと言っても仕事の関係だから、家と会社の往復が主の毎日。車も持っていないので、連休があると鉄道を使って旅行に出かける。

そんな日々でも、色んなことをしているうちに何人か友達ができた。(お姉ちゃんって感じの年齢だけど。)もう蛍見れるらしいから、行こうよ、と誘ってくれた。友達夫婦が家まで車で迎えに来てくれる。

街灯もない真っ暗な道を進む。車を降りたら夜の空気はひんやりとしていた。お互いの顔も見えないので、ライトを持つ。別の友達一家も合流する。小さいなかわいいなと思っていた子どもは、あっという間にひとまわり大きくなっている。

暗くてよく分からないけれど、公園みたいに階段が整備されていて、おぼつかない足取りで川まで下りる。もう少しで落ちそうになるくらいまで進んで、対岸に向けて顔を上げると、視界いっぱいに現れたのだ。無数の蛍の光が。

時折遠くの車のライトが届くほかは、一切の暗闇の中。ふわふわとした明滅、あまりにも繊細でカメラには決して写らないけれど、肉眼で見ると力強いエネルギーを放つ、無数の光たち。なんて柔らかく、美しいのだろう。「夢の中にいるみたいだね」と言った。

そして視線を頭上に移すと、満点の星空が、きらきらと。どこに焦点を合わせても、次の瞬間には変化している世界。一瞬として同じ光は無いのだ。

蛍なんて、東京にいた頃は親世代より上の人達の思い出話しか聞いたことがなかった。蛍は人間の環境破壊とともに、姿を消してしまうものだから、もうわたしは見ることはないくらいに思っていた。

蛍が住めるほどに綺麗な水が、ここ山口には残っているということ。それを大切に思っている人たちがいて、そんな人たちと友達になれて、こうして連れてきてもらっていること。この素晴らしすぎる壮大なはからいに対して、ふさわしい自分で居られているだろうか。

無数に光るひとつひとつが命なのが尊い

両手の中に掴まえた蛍を、子どもの小さな手に乗せる。すごいね、本当におしりが光ってるんだ、とはしゃぐ。ふらりとその光は飛んでいってしまう。みんなで目でおいかける。少しだけさみしくなる。

美しくて尊い情景は、かなしみの近くにあると思う。わたしたちにはただ目の前で起こることだけがある。すべては移り変わり、失われ、永遠などどこにもない。移り変わるものをつなぎ止めたくてわたしは文章を書く。すべての芸術もそのようにして在るのかもしれない。

もう帰ろうか、という雰囲気になった時、わたしは夜空を見上げて信じられないものを見た。未確認飛行物体としか言いようのない、すごくすごく変なものが、夜空を真っ直ぐ飛んでいる。口をあんぐり開けて、友達の肩をぽてぽて叩き、「ね、ねえ、あれ何!?あれ何!?」

その後はみんなで大騒ぎ。誰もその物体の正体がわからないまま、雲の隙間に消えていった。子どもの断言によって、それは「宇宙船か、団子の串」ということになった。ここにいるわたしたちだけが証言者。蛍の魔法でぼーっとしていた頭が、ヘンテコな方向に叩き起された。魔法みたいな夜だもん、UFOくらい不思議じゃないかもしれない。

また会おうと約束して、街に帰ってきた。部屋の電気を点けると、さっきまでのことが本当のことなのかどうか、分からなくなった。それでも、目を閉じると、浮かんでくる。暗闇に飛び交う生命の光。そしてその柔らかな脈動に、ただ見とれて同じ方向を向いていたわたしたちの声が。今はまだ鮮明なこの思い出は、いずれ遠い記憶の彼方に薄れていくのだろう。

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