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やるかやられるか、そしてS.O.Cruもどき

文章化した自分の考えを、ひと呼吸置いて顧みることがなかなかできない。
そんなに難しいことかと平生考えるが、現にまったくできていないので、どう考えても難しい。

言葉がなんの抵抗もなくすり抜けてしまう。
話すより先に、その思考より先に、文章にしてしまう。
その後の推敲によって「この書き方は誤解を招く」「文章がとっ散らかっていて意図が分散されている」を出してから気付く。

編集ができる場所だとしても表に出してから気付く。直す。
誰かを攻撃したいわけではなくても、捉え方によってはそう思われることはままある。
発信するとはそういうことだ。嫌すぎる。
発信の場は得てして対話の場にならない。面倒すぎる。
否定したとてこちらの意図が理解してもらえると思えない。
しかし、仕方がない。

思いやりと言っても語弊のない、しかし曖昧な受け答えがコミュニケーションの流れによってはほとんど無になるときがある。
こちらが事実だと思っていたり、そう受け取っていることに対して「それは違う」と思われることはある。
指摘してもらえたり、また、認識のすり合わせができたらもっと良い。
そして、できれば出典元がほしい。わがままだが。


言葉がなんの抵抗もなくすり抜けていく。
フィルターすら通さずに喜怒哀楽をぶちまけていく。

思い出は水物だ。
ただなんとなく、心をすり減らさないために何もかもを忘れる。
どこかで形にしておかないと忘れる。
実務的なことだけ記憶に残る。
内省が減ると暴力に変換されることが多い。
慣れるとその感覚も風化してしまって、わからなくなる。


ここ最近で著しく移動時間が減った。
移動はひとりきりで音楽を聴いて物事を考える時間だ。

時に、2、3時間以上の移動時間があった場合にはだいたいSOUL’d OUT(以下、SO)の練習をしていた。できたらかっこいいからだ。
SOはツインMCどちらも別ベクトルでの技巧が目まぐるしく、バース以外の歌メロも良く、さらに土台にあるサウンドのJ-POP感が好きだ。
活動当時にライブに行けていたら間違いなくS.O.Cruになっていただろう。

SOに限らず、練習するときはまず課題曲を決める。
代表曲である「ウェカピポ」でも「TOKYO通信」でもなんでもいい。私は上記2曲に加え「1,000,000 MONSTERS ATTACK」「To All Tha Dreamers」を選んだ。
選曲が安直と言われども名曲なのは間違いない。
さあ練習をするぞ!と思って聴いても、まず何を歌っているのかが聞き取れない。
歌詞を見て、ここは本当にこうなっているのか?とすら思う。
こういうときはひとまず何度も聴く。そして、なんとなくこのひと小節にここまでの言葉が入るんだな、が掴めてくる。
そこまでできたらあとはもうどこまで口が回るようになるかどうかだ。ここは何度もやるしかない。

そういう流れで解像度を上げると気付くのである、口が回るだけではSOはできないことに。
生活をした中で不意に聞こえた英語がまるで聞き取れず、「あっこれSOの歌詞で出た単語だ」と感じ取ったそのとき、英語の発音を疎かにしている自分はまだまだだめなんだ…と落ち込んだ。
SOは難しい。それはそう。
やってみて、できないから練習して、やれるようになったな!と思ってニコニコする。
そして、だいぶ後になって気付く。だめだったと。今もできていない。

いつでも致命的なほど英語ができなかった。中学3年生のときに取った英検3級が嘲笑う。中学卒業程度の英語レベルを示す資格。
あの頃がピーク。もうとっくに終わっていた。

どちらにせよ、やれるかどうかはわからない。英語の勉強をするつもりは今のところないので、とにかくSOの精度をどこまで上げるかしかない。
移動時間が減ったことで、内省する時間も減ったからだ。

とにかく履歴書の特技欄に「SOUL’d OUT」と書きたい。
この気持ちもいつか風化してしまうんだろうか。

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