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アンサング・ヒーロー

なにか大きな事業をしているとか、毎日テレビに映るような有名な人、などではなくて。きっと同じように、暮らし、働き、遊び、悩み、そんな日々を送るとても身近な人のなかに、おおいに憧れ尊敬し、願わくば自分もそう在りたいと思う、素敵な人たちがいる。

相手に気を使わせずに気遣いができる人。いつも二歩くらい先を読んでさらっと差し出せてしまう格好の良さよ。

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この世界には無数のアンサングヒーローがいた。
僕らはあるときふと、その事実に気づきます。

(近内悠太『世界は贈与でできている』 NewsPicksパブリッシング)

最近読んで衝撃を受けた本のなかにこんなフレーズが出てくる。
アンサング・ヒーロー(unsung hero)、歌われざる英雄 。​

「贈与」というある種の祈り。卑近な例からこの世界の成り立ちまで、わかりやすい言葉で語られていて、夢中になって一気に読んだ。

アンサング・ヒーローは、自分が差し出す贈与が気づかれなくても構わないと思うことができる。それどころか、気づかれないままであってほしいとさえ思っているのです。
なぜなら、受取人がそれが贈与だと気づかないということは、社会が平和であることの何よりの証拠だからです。

(近内悠太『世界は贈与でできている』 NewsPicksパブリッシング)

今朝、豆乳を温めようとガスコンロのスイッチを回したら、うんともすんとも言わなかった。昨晩の地震の影響でガスメーターの安全装置が作動して止まっていたようだ。管理会社に電話して復旧方法を教えてもらい、すぐにまたガスは使えるようになった。今日は休日だったからのんびり対処することができたけど、これが平日の朝だったら?私はきっと少し焦り参ったなあという気持ちになっていたと思う。

ガスコンロのスイッチを回せば火がつき、水道の蛇口をひねればお湯が流れ、電気のボタンを押せば明かりが灯ることを、普段は気にも止めない。何かの拍子にそれが手に入らなくなったときはじめて、やっとその日常の有り難みにはたと気がつく。
スーパーに行くと陳列棚に商品が並んでいること、ガスや電気が当たり前のように使えること、電車が動くこと、車を運転できること、ご飯を美味しく食べられること、夜ぐっすり眠れること、こうしてインターネットを使いnoteを書くことができること。なんでもない日常を送ることができているのは、その背景に本当に沢山の人の働きかけがあるからなのに。この世界の脆さを忘れ、感謝の気持ちを置いてけぼりにし、私は足りないものを嘆いてしまう。そして必要以上に不安にかられたりもする。

この日常も社会もアノマリーだ。不安定なつり合いの上に置かれたこの文明が、これほどまでに安定して、つり合って、昨日と変わらない今日がやってくること自体、これ以上ない不合理であり、アノマリーだ。
そう感じることのできた主体だけが、「この幸運なアノマリーを発生させた誰かがいる」と推論できるのです。
それも、顔も名前も知らぬ、無数の人々がいた、と。

※アノマリー:変則。例外。また、矛盾。逸脱(デジタル大辞泉)

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冒頭に戻る。
尊敬してやまない、私もそう在りたいと願う、大好きな人たちは、まさにそうした無数のアンサング・ヒーローのうちの一人なのだと思う。そして私にとっては、顔と名前をもった「ヒーロー」そのもの。

余裕がなくて視野狭窄になっているときの自分の肩をそっとたたき、教えてあげたい。顔も名前も知らない、その人のお陰で、「変わらない」今日を迎えられていること。アンサング・ヒーローは、誰かにとって唯一無二の「ヒーロー」であることを。

そんなたくさんのヒーロー、一人ひとりの人生を辿る文章をいつか書いてみたいなぁ。


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