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事実に感情は無いのです

最近よく怒る娘になぜ、そんないつも怒っているのかと尋ねた。
この問いかけがきっかけで夫から出たある発言に私はモヤモヤした。

「お前そっくりやな。」

なんてない一言だった。
これに対して私は過剰に反応した。
私はおそらく人より怒りのコントロールが下手だ。
だから怒りの沸点も低くすぐに怒りに到達してしまう。
そのためいつも怒っているように思われている。
と言うか実際よく怒っている。
そのことをものすごく気にしているし、本当は怒りたくないと自分でも
思っている。
が、うまくコントロールできないのだ。
私の説明が長くなってしまったが、夫の一言がきっかけでまた少し怒ってしまったのだ。

夫は私の怒りっぽい気質を責めている訳でもダメだと言っている訳でもない。
私が自分の怒りのコントロール能力の欠如と夫の発言を勝手に結びつけて
私のせいで娘が怒りっぽくなってしまったと言われているんだと捉えたのだ。
夫からしたら知らんがなである。
捉え方が捻くれていると事実を事実として捉えるのが難しいもんだなと
今日のちょっとした夫との小競り合いで気付かされた。

事実を事実として捉える。
事実に感情は無い。
感情を付けているのは自分自身だ。
あるのはその事実に対しての快か不快かと言う感情があるだけ。

もう何回も何回も繰り返し学んできたことだ。
耳にタコできるほど教わってきたことやしなと自分への傲りがこの学びを一瞬で頭から吹き飛ばした。
そういうとこな!私ってやつは!と自分に自分でツッコミを入れてしまったほどだった。
もう全然身になってませんやんかとちょっぴり残念な気持ちにはなったけれど、
途中でハッと気づけたことで良しとした。



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