哲学はとても簡単なものだった。
3月いっぱい
ずっと哲学を勉強してみた。
最初は20歳くらいの頃にニーチェの本を人にプレゼントされて、ビビビっときてしまい、その頃は言葉の力がとんでもなく助けになりました。
そう。言葉っていうのは生まれてから今に至るまでに使ってきた一番身近なツールです。
それからというもの、それ以上でも以下でもなく、哲学って心を軽くしてくれるものかなあくらいに軽く思っていたのですが、難しそうなイメージのあるものほど、実は簡単なものだったりするような気が致します。
まず最初に知り合いから哲学者サルトルはみつくんにとっていい勉強になるかもよと言われて調べ始めたのがキッカケでした。
ニーチェ以外にも哲学者がいるのは知っていましたが、私のことを知っている人物が私に勧めてくれるものはとりあえずやってみるが心情です。
調べました。
ジャンポールサルトル。
1905年から1980年。
今から45年前くらい?
ドイツによる占領の歳月を抜け出したばかりの農村的フランス
外国文化から借り受けたモデルを用いて「現代性と婚外セックスとジャズ」
ほほう。
こりゃあ面白い。
「私は世界を所有したい。」
それは認識としての限りで、認識とは我有化「我がものにする」という魔術的な意味を持つ。
ぶっ飛びすぎていて面白い。
だが、言いたいことはわかる。
認識としてならば全てを得ることはできる。
現代人にとってはお金や恋人、家族、家や車など、買わずとも、接しなくとも、認識として得ることは可能だろう。
お金を得る。
これは多くを得ることが得ることではないし、自分を生かすだけの金さえ得られれば、成功だろう。
恋人を得る。
今や、推しという概念が登場し、二次元でも容易に恋人として認識だけならば得ることは可能だろう。
家族や車、家も同じような認識を得れば可能だろう。
正しい理解をしているかは正直私にとってはどうでもいい。
新たな価値観や、考え方を知れれば問題なし。
彼が物語を書く理由
彼は小説を書いたりもしているらしく、その小説もゆくゆくは読みたいと思っている。
その理由はこうだ。
「読者は我々を作り出し、我々の用いた言葉で自分自身に罠を張る。読者は能動的であり、我々を乗り越える。我々がものを書くのは”その為”だ。」
これはかなり面白い。
私自身小説を書く身なのだが、読者がどう思うか、読者はどう反応するのか、読者は読んだ後どうなるのかを考えないことはないのだが、実に理論的に言語化をしてくれたものだと感じた。
てな具合に
書けばいくらでも書けそうなので、続きを明日書こうと思う。
読んでくれてありがとう。
よろぴく!